第8話 法律改正への苦労と醍醐味
1.会社法の成立と会計参与制度の創設
平成11年に東北税理士会の制度部長となったが税理士会の全国組織である日税連(日本税理士会連合会)では、平成13年に予定している税理士法改正作業は本来の所掌である制度部の手を離れてしまっていた。さて何をしようかと考え、制度部は商法対策も所掌しているので、それなら前回の商法改正時(平成2年)に駄目になった税理士による会計監査とも言うべき中小会社の会計調査人調査制度をもう1回掘り起こそうと考えた。いくら税理士が会計の専門家と胸を張ってもそれは税理士法の上だけで、世間的に認められているとは言えない。実は、昭和の終わりに近い頃から法務省が中小会社の決算内容は適正を欠いていることが多い。全国的に数の多い税理士に中小会社の適正決算への役割を努めて貰おうと我々に好意的な施策であった。しかし、適格者は、税理士試験の会計科目に合格している税理士に限るとしたものだから税界OB税理士は殆ど外れることとなり、税理士会では内部の協調を乱すとして反対意見が多かった。当然、公認会計士業界や中小企業団体の反対も大きかったのだが。税理士会では全ての税理士が適格者とすることを条件として賛成したものの、既に遅しであった。そんな訳でこの制度は平成2年の商法改正には取り上げることにはならなかった。税理士会に好意的だった法務省の当時の担当官には申し訳のないことをしてしまった。この担当官はこのあと地方に出されたと聞く。
この私が提案した会計調査人調査制度の掘り起こしは東北税理士会内部で反対が大きかった。「今更死んだ子の歳を数えるようなものだ。」とか「全国(日税連)でも手を付けていないことが地方の一税理士会が貴重な時間と費用を使ってどうする」等。また、TKCを通じて会えた法務省のお役人もかつての失敗からか、中小企業監査を持ち出すと「首が飛ぶと先輩から言われています」とニベもなかった。しかし、私は間もなく始まる次の商法改正には必ず税理士会の協力が必要となるはずと睨んだ。実は平成2年改正時にそれは日の目を見なかったが、中小会社の適正な決算を担保する件については早急に対処することが、衆参両院の法務委員会で付帯決議がなされていたのでこれを持ち出せば可能性ありと考えた。なお、この付帯決議に至るにはTKC飯塚会長(当時)の尽力があったと聞いている。当時、私が直接飯塚会長に付帯決議の効果について質問すると、「それは法律と同様な効果がある」言われたことが頭にあった。
そうしたところ東北で狼煙が上がったからかどうかは知らないが、当時の日税連会長も、中小会社監査を積極的にやろうと言うことになり急遽商法対策特別委員会(後に会社法制対策特別委員会)で検討することとなった。東北税理士会は準備が万全だったので終始議論をリードできた。私は、TKC全国政経研究会政策審議委員会においてもこの件は、税理士が会計専門家であることを税理士法以外の法律に規定されるチャンスなのでと声を大にした。会社法の改正要項案が出ると、パブリックコメントに東北税理士会制度部として意見提出もした(これは法務省でまとめた当時の意見集に掲載してある)。従来、会社法という呼称はあってもそれは商法の規定の何条から何条までの通称であった。それが今般改正では、独立した法律になる。ところが改正要綱案の内容を見て驚いた。まるで詐欺師のための法律改正ではないかとも言えるべく、従来よりも各制限規定がゆるゆるになっている。これには理由をつけてかなり反対意見を述べた。
どうもこの会社法は某大国の意向がかなり反映されているなと感じた。いわゆるグローバルスタンダードと言うものである。私は、グローバルスタンダードとは、今、既にグローバルなスタンダードではなく、その某大国がグローバルにしたいスタンダードだと思っているし、その考えは今も変わらない。それは某旧大帝国が旗を振っている国際会計基準もそうである。新会社法と国際会計基準が日本の企業を蝕んだ罪は大きいと私は思う。今回の「福島第一原発」の事故もこの二つが大きく絡んでいると見ている。例えば上場会社である東京電力が千年に一度あるかどうか分からない地震・津波の対策に大規模な工事をしたとしよう。それで数年経って地震も津波も来なかったら、確実に株主から過剰設備投資の責任を経営陣は追及されるだろう。事実、地震津波対策を提言した学者や専門家は居たのだが東電は取り上げなかったというか取り上げられなかったのだろう。私は、この考えを私の尊敬する官僚のトップを極めた方に先日ぶつけてみたら「全くその通り」の答えが返ってきた。
話はそれてしまったが、本題に戻そう。TKC政経研には前述の「自民党コンピュータ議連」がある。ここで、税理士による中小会社監査問題で朝食会をまた自民党本部で開いた。出席者数十人の内、何と議員本人出席が30人以上である。例によって朝食(この時は既に丼飯ではなくなっていたが)を摂り、いよいよ趣旨説明である。高田事務局長から「深田さんの提案なので深田さんが説明してよ」と言われていた。何せ名だたる国会議員先生「あっ!あの先生、この先生、えーっ!まさかあの議員さんまで?」の前で、私は武者震いなのか緊張震いなのか単に小心なだけなのか震えが止まらない。それでも意を決して説明した。最後に一段と声を張り上げ「この問題は今に始まったことではありません。平成2年の改正時にこの問題については早急に検討すると衆参両院の付帯決議が付いています。ここにもその時決議に賛成された先生方はいらっしゃるでしょう。少なくも国の最高の意志決定機関である国会両院の委員会の決議を尊重すれば、もう10年が経とうとしている今、結論を出すべきではないでしょうか?」とまとめ、顔を上げ辺りを見回した。座長であり、後に財務大臣となる痩躯のO議員先生は大きな目をぎょろりとして法務省から出席の立法担当官に「分かったか。必ず検討するように」と発言した。
この件で、法務省はかなり頑張ってくれたが、税理士が会計監査をすることには金融庁や公認会計士協会が頑として反対する。やむなく外部監査でなく、企業に会計の適正化を担当する役員として就任する「会計参与制度」の創設となった。後で、当時自民党と連立を組んでいた公明党のT議員が、この議連の状況を誰からか聞いたのか(その議員は弁護士でその時出席していた立法担当官と司法研修所の同級生だと後で分かった)、「会計参与制度創設は深田さんのあの時の発言が聞いたんだよね」と言ってくれたことだけは後のちのためにここに記しておこう。
ところで、この「参与」と言う名称にもエピソードがある。丁度その頃、拉致被害者問題で活躍していた中山参与という女性が居たがそれからヒントを得たと当時法務省に出向し会社法立法を担当していた若い素晴らしく頭の良い弁護士さん本人から聞いた。そのK弁護士は当時30才そこそこであったが、米国法に強いので法務省に引っ張られたらしい。会計参与は個人だけでなく税理士法人や監査法人も就任できるようになっているが、当初法務省はどうしようか迷っていたらしい。税理士会は法人の就任はできないようにと主張していた。しかし私がどうしても法人も可能にしないと自分のような税理士法人の税理士は会計参与に就任できなくなると言っていたものだから、何故なのか電話を欲しいとのこと。私は東京駅の階段で電車の出発時間を気にしながら2、3点理由を挙げ、さらに質問に応えた。彼はすぐさま「良く分かりました。」と。その後税理士会はいくら法人就任に反対しても彼は「その議論は済んでいます。」と受け付けなかった。
その後彼から弁護士に戻ったことの挨拶状を頂いた。お祝いのメールを出すと何か是非お役に立ちたいと返信があった。それで1年後日税連の会社法対策委員会で会計参与についてのレクチャーで約束を果たしてくれた。ところがその頃、彼は会社法では何と弁護士の中で全国一の折り紙が付けられていて引っ張りだこで実は大忙しだった。一流の人とはどんなに些細なことでも一度約束したことは絶対に守るものだと私の息子程度の年齢なのに感銘を受けたこともここに記しておきたい。折角、創設された会計参与制度だが税理士の就任状況が未だあまり芳しくないことが残念である。
2.オーナー会社重課税の悪法と戦う
平成17年の秋口、そろそろ18年度の税制改正の作業に入るが、今回はあまり問題になる改正はなさそうだねと言うのが、税理士会そして税理士政治連盟での会話だった。ところが我々を驚愕させる税制改正案が自民党税調(当時の税制改正は殆どここで決まった)に急遽当局から出されたとの報が入った。それは、いわゆるオーナー会社の社長は、会社を私物化していて本来個人で支払うべき経費を会社につけ回していて会社の利益を減少させている、それでその会社が本来支払うべき法人税を少なくしている。一方その社長は所得税を役員報酬から給与所得控除額(概算経費的な控除)を引いてから課税されている。いわゆる個人経費の二重控除論が税調で議論されていた。その例に挙げられたのが自身のプロダクション会社を持つ「朝○○!」の某有名テレビ司会タレントや某演歌歌手そして大リーグで活躍する某野球選手である。だからオーナー社長の一定額(800万円)を超えた役員報酬はその給与所得控除額(報酬額によって無限に増加する)相当額をその会社の利益に加算して法人税等を課税しようというものである。
当時東北税理士政治連盟の会長をしていた私はすぐさま反対運動に入るべきと覚悟をした。その理由として挙げたのは、
- この考えは所得税法と法人税法の規定を混同していて税法理論上許されない(実際多くの税法学者からこのような税理論上の反対の声が上がった)。
- 例に挙がった有名芸能人等の一人会社で多額報酬を取っている場合には妥当することもあるが、この課税対象になる会社の多くは250万社の零細な法人である。個人経費を会社につけ回す不届き者が皆無ではないが、それは税務調査で否認され、会社実態は違う。
- 百歩譲って税収上やむなしで高額報酬のみ対象にするなら例えば2千万円を超えたらその超えた額に相当する給与所得控除額を対象とするなら別だが、800万円はいかにも低いし、これを超えると給与所得控除額全て駄目になるのもおかしい。また、それならオーナー会社に限らず上場会社も含め全ての会社を対象にすべき。
税理士会や税政連の全国組織である日税連・日税政も反対運動を始めた。しかし当局のガードは堅く、また国会議員先生も財務省から前述の有名タレント・プロスポーツ選手一人会社理論の説明で納得してしまって難しい。TKC政経研では私がいくら叫んでも、なかなか動く気配がない。渋る高田事務局長にしつこく言って、やっと当時の財務副大臣、公明党A議員の面会を取り付けた。高田局長には当日の面会直前まで声を大にしてこの案の不当性を説明した(当時のTKCではそういうひどい輩も居るのでやむを得ない改正ではないかとの風潮であった)。さて、面会の場所は財務省の副大臣室であり、側には財務省の職員がメモをとるべく控えている。私からさんざんに言われた高田局長は、事前に「深田先生、TKCは折角財務省とコミュニケーションがとれる良い関係になったのだからぶち壊すような事はしないで下さいね。飯塚事件の二の舞はイヤですよ(私の激烈な言い方が当局とトラブルを起こすのではと、かつての飯塚事件を体験している高田局長の懸念)。」と釘をさされていた。私は努めて穏やかな言い方でこの改正案の不当性について理由を挙げて説明した。A副大臣は「私がこの問題に触れると途端に職員は皆冷たい態度になるんですよ」と人の良さそうな顔で対応された。副大臣室を出ると高田局長、開口一番「何だ、深田先生、私に言ったように厳しいことを言うのかと思ったら、随分やさしい言い方なのね」と皮肉たっぷりに言われた。本心はホッとしていたくせに。私も正直内心ヒヤヒヤだったのも事実である。
しかしこんな努力も全く水の泡であった。日税連は、「この件は反対ではあるが諸般の事情を勘案して政治的な判断でやむなしとする」と言う訳の分からない声明を出してしまった。この声明も事前に日税政に文案の打診を受けた際、私は日税政副会長として大反対をしたのだが。そんなことでオーナー会社重税の悪法とも言うべき「特殊支配同族会社の業務主宰役員給与の損金不算入(法人税法35条)」は平成18年の税政改正に盛り込まれ成立してしまった。この反対運動に関わった税理士は皆無力感を感じ、会員の中には「税理士会、特に税政連は何をしているんだ。もう会費を払わないぞ!」と言う声まで出る始末だった。あっという間に日にちは過ぎ、19年度税制改正の時期になってきた。税理士会の税政改正要望書にこの規定への反対意見は載っているが、何せ「政治的判断声明」の後遺症は大きい。私も鬱々とした日々を過ごしていた。TKC政経研でも事の重大さにやっと気づいていた。
そんな時、素晴らしいヒントをTKC政経研高田事務局長から与えて貰った。「深田先生、これはもう体当たりで自民党税調会長の津島雄二先生(敢えて名前を出させて頂きます)に会ったらどうですか、あなたは津島先生と面識があるし、TKC政経研と日本税政連の幹部なのだから」と。早速、津島先生総後援会(全ての後援会を纏めている)会長でもある青森県税理士政治連盟会長の和田文夫先生に連絡した。「津島先生にあの件で是非お会いしたい。先生のご都合なら曜日、昼夜問わず全国どこにでも駆けつけますので」とお願いした。程なく、津島先生は床屋さんに行くため必ず月1回青森に帰省するのでその時時間を10分だけ取って貰ったとの返事が来た。忘れもしない平成18年11月19日の夕刻新幹線と在来線を乗り継いで青森駅についた。駅頭には大坂健蔵税理士会青森県支部連合会会長の運転で和田青森県税政連会長に出迎えて頂き、津島先生宅に伺った。いつもの温顔で迎えられた先生は、「皆さんお揃いでどうしたの?来年の税制改正はあれで良いでしょう」と言う。先ず和田会長が口火を切り、「先生大変な事になっているんです」と。それから私が理由説明、和田先生は自分のクライアントの数例をシミュレーションし法人税申告書に記載して、これだけ納税額が増えますと具体的に説明する。大坂会長はそういうことですのでよろしくお願いしますと頭を下げた。さすがに頭脳明晰でかつての大蔵省キャリアの税調会長先生は即座に理解された。「18年に施行されたばかりなので廃案は無理よ。でも今次改正で800万円のバーを上げることならやってみよう。とりあえず2千万円でどう?」三人異口同音で「お願いします。」、帰りに駅のレストランで祝杯を上げ、お互いに成果を讃え合った。
結果は、財務省の抵抗が激しく、色々攻防があったが最後に公明党の助力もあったらしく1千6百万円で結論が出た。税法が施行後1年で改正された例も少ないだろう。勿論我々の力だけで出来たとは思っていない。反対を根強く続けていた税政連の力も大きい。我々は敢えてことのことを喧伝するのは避けていた。それでも当の津島先生が我々三人のことを色々な場所でお話されたものだから全国の税理士会員の多くが知ることとなってしまった。日税連の100人を超す理事会の席で色々な噂があるが「少数の者の力だけではできる訳がない。」と私が居るのを知っていてわざと嫌みを言う輩も居た。会計参与創設の際にお世話になった前述の公明党のT議員はTKC全国会の新年会に満座の中の挨拶でこのことを取り上げ、「深田先生が津島先生宅まで陳情に行ったことがこの成果になった」とおっしゃったものだから、TKC会員の中で「深田は津島先生宅前で数日間寝ずの番で張り込みをしたらしい」との噂になった。話は勝手に一人歩きをするものだ。
これほど苦労したこの税制も民主党政権になって初めての税制改正である平成22年度税制改正で廃止となった。
これについては、未だこの税制が廃止になる前だが後日談がある。私が東北税理士会の会長時代、国税庁長官が税理士会館に来訪された。その長官は、前職が主税局長で、正にこのオーナー会社重課税税制策定の責任者であった。来訪当日、どのような経過でそうなったのかは忘れたが、話の過程でその長官はこのオーナー会社重課税について触れ、よせばいいのに、「この制度にもそれなりの理由があるんですよ」と言ったものだから私が噛みついた。「長官、その件なら当方にも反対の論拠がありますので、よろしかったらお時間を取っていただいて議論させて頂ければ?」と言ったら、ある副会長が悪のりして「長官そうすると今晩は帰れませんよ!」と言ったものだから、お付きで来た局長以下仙台国税局の面々は困惑の態、「長官そろそろお時間で!」と言うことで早々に退去された。