第5話 業界の先達
1.東京の勉強会に出席
開業時は、旧税理士法で、現在のような税理士会の支部ではなく、管轄税務署毎にある部会が組織の最小単位であった。前述したが当時の部会長T税理士には新入会員の私を例会の度に声を掛けて頂いた。当時は例会に出席するのは殆どが税務署OBばかりで、私のような試験合格者は少なく、まして年齢の近い人が居なかったので心強かった。T税理士は昨年お亡くなりになったが、その女婿の税理士が立派に継がれていて市内有数の事務所は今も変わりない。
しかし、私は、このような環境でいて満足はしていなかった。何故ならば、どうも税務署とそのOB税理士達とは何らかの関係にあり、それが我々民間出身の税理士から見ると、有利に働いているように思え、そこには我々が入り込む余地がないように見えるからである。税務署長クラスで退職すると顧問先まで紹介されると言うシステムがあるのも当時の私は知らなかった。しかしそれを嘆いていては、始まらない。自分の専門能力を高めていくことがそれに対抗する一番と考えた私は、兎に角、勉強をしようとした。しかし、毎日の仕事に明け暮れていてはそれも進まないと思っていたところ、次々に試験に合格していったかつての東京の受験勉強仲間達から、このような勉強会があるので月に一度東京に来ないかと誘われ渡りに舟と承諾した。当時四谷の駅近くの二番町に公認会計士と弁護士の共同事務所があり、そこで月一回土曜日午後に行う勉強会である。未だ新幹線がなかったので早朝に仙台を出発して4時間掛けて行った。これがまた私の専門の勉強の基礎となったことは言うまでもない。税務の実例をケーススタディに出席者全員で意見を出し合うという形で進行する。主催者の公認会計士とそこに勤務している税理士、かつての勉強仲間、共同事務所の弁護士も参加して質の高い議論がそこで繰り広げられた。私の常識からするとどうにも納税者に勝ち目が無いなと思うような件についても、こんな考えもあるのかと言うような意見も出てくる。私が意見を言うと「深田さんそれは税務署の考えよ」と言われてしまう。
共同事務所の一方の弁護士は某政党の支持母体の一つである民主商工会の各事件で当局と争っている人なので、私は思想的に偏っているのかなと思ったがさにあらず、極めて常識派でかつ正義感の強い弁護士であった。その公認会計士とは岩手県の高校の同級生と言う。どおりで二人ともイントネーションが懐かしい響きと思った。そこでの年一回の研修旅行は楽しく勉強になった。何せ、東京駅を出発時から列車の中で実例の検討と意見交換が始まるのであるから。その旅行には宿に着くと公認会計士の友人である現職の国税庁の課長補佐も居た。ああこの人が良く税務の月刊誌に執筆してるK課長補佐かと思い恐る恐る質問してみると極めて丁寧かつ法的に論理明快な説明をしてくれた。当時、当局と争っている側についている弁護士と現職の国税庁の課長補佐が同宿して飲食しているのは奇異に感じたが、本当のプロとは私的な場と公的な場とをこのように峻別するものなのかと感心した。この勉強会の主催者であった公認会計士の佐藤健男先生はその後TKC全国会の重鎮となられ、令和2年に亡くなられたが、私の専門家としての道を開いていただいた恩人である。
2.東北一和会
税理士登録してから1、2年もするとかなり試験合格の税理士も増えてきたし、先輩には必ずしも税界OBでない税理士が結構いるのも分かった。その先輩の何人かから、試験合格者だけの集いがあるので出席しないかと誘われたのが東北一和会であった。初めて出席した会合は山形県の蔵王温泉であったと記憶している。東北にはこんなに多くの試験合格者が居たのかと大変心強く感じたのを記憶している。その中には既に亡くなった方も多いが何人かは今でもご健在である。そこでの勉強会は前述の東京の勉強会と比較すればお世辞にもレベルが高いと言えないが、何より、先輩後輩の分け隔て無く、正に一和会の名に恥じず、和気藹々と交流しているのが私には大変魅力的であった。今まで、税界OBの税理士の中で肩肘張って居たのが、その力みがスウーッと無くなるのを感じた。
この中で多くの先輩方のお名前を挙げたいが、割愛する無礼を許していただいて、東北税理士会の会長となった柏葉庚一郎先生、TKC東北会の会長となった大藤則保先生そしてやはりその後TKC東北会の会長となった当時若手の中ではNO1であった兄貴分の平塚善司先生のみの名を挙げるのみにしておく。柏葉先生にはTKC入会を強力に勧められ資金がないのを理由に断ろうとしたら税理士ローンを紹介されてしかも保証人にまでなっていただいた。私が現在各種の講師として壇上に立てるのも柏葉先生から「自分の勉強になるからおやりなさい」と勧められて渋々承諾したことから始まっている。当初は講演日近くなると気が重くそのため予習を一生懸命したのが聴衆に好感を持って貰えたのかも知れない。アンケートや出席者からの評判が良いとのことで何度も依頼されて場数を踏んだのが現在の自信に繋がっていると思う。柏葉庚一郎先生は残念にも平成23年6月にご逝去された。私はその時の東北税理士会会長として先生の告別式にあたって葬儀委員長を務めることができたことがいくらかでも先生への恩返しになったかなと思っている。
大変面倒見の良い大藤先生からは座禅と謡の手ほどきを受けたものの長続きはしなかった。しかし、先生からのこの一言は未だに鮮明に記憶している「中心部ほど土地が高く事務所の家賃も高いのは何故か?それは収益性が高いからである。深田先生、できるだけ高い家賃の事務所を借りなさい、それが事務所発展になりますよ」と。私は、その言葉を信じ創業時から4回の移転を重ねて、今、仙台市一番町一丁目と言う中心部に事務所を構えている。未だ収益性が高いことを誇れないのが残念だが。
平塚先生には引っ込み思案な私を何かにつけて引っ張り出していただいた有り難い兄貴である。特に「創造経営理論」の哲学に裏打ちされた真摯な生き方は尊敬している。私もそのセミナーを受講し、平塚先生の謦咳に接したもののなかなかお手本通りにはいかないのが悩みである。その平塚先生は、平成23年3月11日の東日本大震災でご自宅が津波で流されると言う大変な被災を受けられたが、いつもの飄々とした風情を失わなわなかったのはさすがである。
以上三人の先生方は、既に亡くなられているが、お子さんが立派に二代目として育っている。そのお子さん達に私は先輩として何もして上げていないのは申し訳ない気持ちである。しかし、私よりも素晴らしい先輩をお父上に持っているのだからわざわざ私が指導するまでもないか。
東北一和会は税理士業の先輩・同輩(未だ後輩が居なかった)の仲間が出来て不安がなくなったことの恩人である。東北一和会は当時度々あった思想的な税理士団体からの勧誘は毅然と断っていて純粋に試験合格者の友好団体としてのみ続けていたが、その後その仲間の多くがTKCに入会してそちらの活動が忙しくなり、一時期活動が停滞したのは残念である。しかし、最近、後輩の税理士達が活動を活発におこなっていることから将来は期待できそうである。
3.不撓不屈の人
ここまで書いてくると、私は、税理士業を常に前向きに捉えて頑張っていたように見えるだろうが、必ずしもそうでは無かった。東京での勉強会、東北一和会での同業者との交流で時として不安になる気持ちは若干和らげられるものの、どうもこの仕事を将来も続けて良いのであろうか、或いは続けられるのであろうかとの疑問がちょくちょく湧き上って来るのを禁じ得なかった。税務当局の壁は厚く、私がいくら頑張ってもその壁を崩せないのに、税界OBの税理士は易々とそれを越えて行ってしまうこともしばしば経験した。クライアントは意外と自分のプラスとなる情報交換は多く、税務の問題でも同様である。私が企業経営者に指導しても、「いや、あそこの会社の顧問税理士はこれで良いと言っているよ。先生は考えが厳しすぎるんではないの?税務署の味方みたいだ」と言われることもあった。「でも、それは税務調査があれば一発で駄目ですよ」と言って納得して貰うものの、しばらくすると「あそこの会社に税務調査があったけどもこの件については何も言われなかったよ」と。思わず、「それではその税理士に依頼したら?」と腹立ち紛れに言ってしまうこともあった。こんな仕事をしているよりも、父の洋菓子屋の仕事を継いだ方がよほど気も楽かも知れないなと弱気になってしまうこともしばしばであった。つまり税理士としてのプライドがどうにも持てなかったのである。
それは忘れもしない昭和48年の夏の出来事であった。前述のとおり、柏葉康一郎先生からTKCを勧められていたが返事を留保していた。しかし、「TKCの東日本夏期大学と言う勉強会が郡山市郊外の磐梯熱海温泉で開催されるので是非受講してみなさい。」と言われた。東北一和会のメンバーもかなり出席するようなので、まあ、温泉に行くつもりで出席してみようとの軽い気持ちで参加した。これが我が税理士人生の岐路になるとは全く予想していなかった。2日目最終日、飯塚毅TKC全国会会長の講演では正にカミナリに打たれたような感動を覚えた。先ず、「税理士業務は法律業務であり、従って税理士は税法の専門家である」と。これまで税法はあるものの、通達を初めとして税務当局の考えを忖度しないと我々の業務は出来ないと考えていたので法律業務とは捉えていなかった。また、税理士は単なる実務家と考えていたのに飯塚会長の話す内容は実務から程遠く哲学から宗教特に仏教のことばかりであった。「この人は何者だ?」と。それは昭和30年代の終わり頃からいわれなき脱税幇助の疑いで行われた税務当局の弾圧に対して断固と戦い長年掛けて裁判で勝利したと言うすごい税理士と始めて知った。その場で、TKCへの入会を決断し、柏葉先生に伝えた。この人飯塚毅先生は既に故人となったが、高杉良氏により「不撓不屈」の題名でビジネス誌に連載の後、新潮社より単行本と文庫本になって出版された。平成18年にはこれを台本にして映画も作成され封切館で上映された。飯塚先生からは多くのことを学ばせて頂いたが「あなた方が中小企業を守らないで誰が守れるのか!」は常に私の業務を続ける際の基本となっている。また税金についても「一円の払いすぎた税金もなければ、一円の払い足らざる税金もなかるべし」それを租税正義と言うことも忘れられない言葉である。飯塚先生については書いても書ききれるものではないが、私に税理士としての方向性を与えて頂いた偉大な先達である。私は、これによって税理士としてのブライドを回復することができた。よし、私は、税理士を天職と考え、中小企業者のために頑張るぞと心密かに誓ったのである。