創業物語・そしてその後

第4話 税務当局との関わり

1.はじめての税務調査立会

 私は28才で税理士を独立開業したことは既に述べた。それまで会計事務所勤務はあるものの、税務署なるものに足を踏み入れたことは殆ど無く、開業して当時の仙台中部会長のT税理士に挨拶に行くと、親切なT先生から「所轄税務署に挨拶した方が良い」と言われて仙台中税務署に赴いた。1~4階まで殆どの部門に挨拶したが、「随分若い先生だねとご丁寧に!」と好意的だった。でも税務署OBならいざ知らず、当時でもそんなことをする税理士はいなかったようである。税務署との付き合いはそんな程度なので、初めての税務調査立会は緊張した。当時の最県南の顧問先なので車で1時間ほど掛かるため朝から行こうと思ったものの、何らかの用があったのだろう。到着したのは12時少し前であった。調査官と社長は既に昼食を始めている。「先生もどうぞ」の声に同席したが調査官からは「調査は殆ど終わったので」と言われ社長とにこやかにビールを酌み交わし(当時はそんなのんびりムードもあった)地元名産のカニをつついている。もともと前述の泰君が経理を手伝っていたので殆ど問題は無いはずでホッと胸をなで下ろした。食後、調査官から「先生ちょっと」と言われ、事務所に行くと、「先ほど言ったとおり、特に指摘事項はないが、仕掛かり工事の未成工事支出金に減価償却費が計上されていないのでその金額○十万円の修正申告をして下さい」とのこと、つい「分かりました」と言ってしまった。今なら「減価償却費は期間経費なので」と突っぱねたのにと最初の調査が修正申告とは真に残念であった。


2.突っ張り税理士

 当時は40才後半から50歳代の調査官が多く、彼らからみれば私は自分の子供程度にしか思わなかったであろう。私の経験不足を良いことにうっかりすると「これが税務の常識ですよ」と言いくるめられてしまう。帰ってから調べて地団駄を踏んでも後の祭り。そうはさせじと私は税務調査となるとついつい突っ張ってしまったのも無理ないことである。予告なしで調査に来た場合は「帰ってくれと」と追い返す。担当調査官で埒が明かないときは税務署まで足を運び「あんたでは駄目だ、署長を出せ」と怒鳴り、副署長になだめられたこともある。税務署では説明できず、国税局まで行ってくれと言われたことがある。それまで仙台国税局は税理士試験の申込みで行った程度である。国税局の担当部門に行くと二、三十人程度の机がコの字型に並んでいる真ん中のソファーに案内され、3人の担当官が「何か問題でも?」と自信満々で出てくる。しばしそこで口角泡を飛ばす大激論でも埒が明かない。回りの数十人はチラチラこちらに視線を送りながら状況を観察している。思わず私は「こんなに人が居て私一人を納得させるのは誰も居ないのか!」と大声で辺りを見回す。こちらを見ていた顔が一斉に伏せられるのを見た。

 それから十数年経って当時の副署長の一人が退官して税理士となり、ある会合で会った時である。話の弾みで私の前歴を話すと、その元副署長「うわー騙された!」と叫んだ。何のことかといぶかしげに聞く私に、件の元副署長は「深田は若いのにあんなに自信家なのでてっきりキャリア(国家公務員上級職合格で本省採用)の出身かと思っていた」だと。思うのはその人の勝手ですよ。


3.窮すれば通ず

 その頃の私は若干自信過剰だったのかも知れない。税務調査があっても絶対に手ぶらで帰してやるとの意気込みだったから。でも税務調査官の方が上手の場合もあった。ある建築業で一気に数棟の新築工事が決算期末に完成しそうになり社長は利益が急に膨らみ多額の納税となりそうで頭をかかえていた。相談を受けた私は完成を遅らせられないかと聞くと何とかなると言う。引き渡しを迫られていた1、2件を除いて工事を遅らせ完成を翌期に引き伸ばした。当然作業日報も真実を記載した。「俺が調査して修正はない」と言って当初豪語していたK調査官は必死に反面調査(注文主や下請け業者も調査すること)するが事実なのでしょうがない。最後にニヤリとして「先生も大したもんだ」と。このK調査官は数ヶ月後隣町の工事業者に調査に来た。「どうせ先生が見ているところは何もないのだから」と来てから直ぐに雑談ばかりでパラパラと資料をめくるもののやる気がない。最後になって「ところで現金を見せてくれる」と言う。固い経理担当者なので心配ない。毎日現金残高と金種別明細も書いてある。自信を持って対応している私にK調査官は「先生、ちゃんと見てないと駄目よ、こんなに金種がきちんと毎日揃うのはウソに決まっている」良く見ると確かに毎日殆どの金種が揃っている。経理担当者バツが悪そうな顔をしている。不正をしたのではなく金種は適当に書いていたのですね。K調査官はその後税理士となりある会合で毎年一回は顔を合わせていて、合うと必ずこの懐古談に耽ることになったが、もう既に故人となられた。

 役員賞与は原則として法人税法上損金にならない。取締役部長のような使用人兼務役員で使用人分の賞与は損金になるが社長、専務、常務ならば絶対に免れない。ある運送業者の社長の弟である専務に賞与が出ていたのを発見した税務調査官は自信満々である。私も給与台帳を良く見ないでいたのでしまったと思った。どうしようもない。「しょうがねえなあー」と何気なく登記簿謄本を見た私はその専務の取締役登記がないのを発見した。とっさに口をついて出たのは「その専務と言うのはあだ名です!」と叫んでセーフ。これは今では法人税法基本通達になっています。


4.税務調査の間違い

 現在ではその幅はかなり狭くなったものの当時は税法に明確な規定がないと税務当局の判断と納税者の判断ではかなり幅が有る場合も少なくなかった。それでも税理士が関与している企業には調査があってもそれほどひどいケースはなかったが。当時、顧問先の経営者から取引先に税務署が入って大変なので相談に乗って貰えないかと言う話が良く来た。私は「脱税者の味方はしませんよ」と言うものの、「いや、どうもそうではないので何とか」と乞われて行ってみると、当時は恐ろしいもので、税理士が関与していないと平均して本来取るべき税金の2割程度は余計に課税していた。私は、それでは取り戻しましょうと「更正の請求」を出す。ほどなく税務署から「税務署の慫慂(勧め)に応じて納税者が修正申告したのに更正の請求はできないのでは」と連絡が来る。すかさず「誤った課税をしての修正申告の慫慂は無効だ」と怒鳴り返す。納税者はよほど胸がすっきりしたのだろう。それから顧問の継続を依頼されることは当然である。しかし中には私を欺いていた経営者もいた。調査があって不利になってきた時、ある晩、私のところに尋ねてきて言うには先生お世話になりましたが、私は今大変厳しい状況です。人の薦めもあって今度ある税務署の署長を退官した先生を紹介されました。どうなるかは分かりませんがそこに依頼することにしたのでと。お互いに創業間もなくの苦しいときに国民金融公庫の保証までしてやったのにと思ったがそういう手合いはやむを得ない。その後20年経って変な縁で再度顧問することとなったがやはり1年で止めていった。


5.こんなひどい税務調査と税務署の対応があった

 開業してから10年は経過した頃であろうか。ある顧問先の社長から友人が税務調査を受けてかなり税金を取られそうだ、何とか相談に乗ってくれとのこと。私は例の如く「脱税者の味方はしませんよ」とニベもない返事をしたが、何度も言ってくる。どうもお互いに銀行保証をしあっている仲なのでもし相手が破綻すればこちらも共倒れなのでとのこと。私はそれでも「税金は全部は持って行きませんよ」と冷たい対応をした。それでも懇願されたので何とか重い腰を上げて言ってみると本当に大変だった。

 個人企業で大きな売上計上漏れがあり当時の所得税率で言うと、本税と重加算税そして延滞税及び地方税で増差額の殆どが持って行かれてしまう。資金繰りはもともと苦しく納付する税金はないとのこと。その企業は税理士ではなくて無資格者に税務を依頼していた。既に知り合いから紹介された複数の税理士に相談したがどうにもならないと言われて困っていた。私は、すぐさま所轄税務署に行って税金が払えないので納付の猶予を依頼した。「そうしないとこの企業は倒産してしまいますよ!」と言った。税務署の担当官は少しも顔色を変えずに「倒産しても結構です。当方は売掛金を押さえますから」と言い放った。兎に角債権者である仕入先の応援を頂こう。振りだしている手形のジャンプを依頼しないと。しかし店主はそんなことをしたら仕入ストップになってしまうからできないと言う。それでもそれしか策はない。

 店主は自らを「重大なかつ悪質な脱税者」と思い、毎日自分を責めて死人の様な顔をしている。私が税務署に掛け合ったのが逆効果となったのか間もなく、税務署は不動産を差押えて国税局に移管した。当然銀行からの融資もストップとなってしまった。もう店主は死ぬ覚悟になっているのが見て取れる。ここで弱いモノの味方を自認している私の反骨心に火が付いた。落胆している店主を励ましながら手形ジャンプを依頼するための資料作りを始める。通常の仕事が終わると毎晩その店に行き夜の12時近くまで約1週間作業した。どうもおかしい。本当に税務署が言うように儲かっているのか不審を感じた。色々店主に聞いてみた結果、税務調査の内容がかなり粗いようだと判断した。売上入金はもれなく全て計上しているし、在庫も洩れがない、架空の経費もない。但し、過剰在庫と過大な滞留売掛で資金繰りは極めて厳しい。その過大な売掛金の一部をある地域分ストンと外してしまっていた。申告依頼された無資格者が経営の苦境を見かねてやったことなのか?店主は毎日資金繰りに追われているのだからそんなに利益があるとは思っていなかったと言う。

 ここで詳しい内容は省くが棚卸し商品の評価を売価還元法によっていたので漏れた売上を計上すれば商品の在庫金額が低くなるのに税務調査官はそれをしてないのを私は発見した。それは税務調査の明らかな間違いで税額が3分の1は確実に減少する。重加算税も根拠が薄弱だ。よし、国税局に行こう。国税局の徴収担当官は紳士的であったが私は最初が肝腎なので大声で言った「差押えをしているが直ちに外した方が良いですよ。税務調査に重大な誤りがあり、このまま資金窮迫で倒産したら私はこのことをマスコミはじめ各方面に発表します。そうしたら仙台国税局はひっくり返りますよ」と。とにかく今資金繰りの応援を貰うため仕入先の協力を貰おうと資料作りをしています。差押え以上の手続を進めないことを約束してくれと。担当官は快く「それなら早く仕入先の応援を取り付けてきて報告してくださいそうしたら差押えを外します」と了承した。

 精密に調べればもっと税額は減少したのかも知れない。しかし一刻も猶予ができないので、現在立証できる額でとりあえず更正の請求をし、また重加算税については異議申し立てを出した。兎に角仕入先の協力を得ないと手形が回ってきてしまう。やっと資金計画表ができて店主に渡し、仕入先への口上も教えた。翌日ある研修を受講し終わって会場を出てきたら何とどこで聞いたか、店主とその老父が神妙な面持ちで待っていた。そのまま関西まで一緒に行ってくれと言う。何の用意もないまま飛行機に乗せられてホテルに着いた。翌日から仕入先へと向かう。最初に行ったY社は江戸時代の創業で100年以上の老舗だ。老練な財務担当常務が出てきた。説明は私が行った。その常務は私の作った資金計画表に目を落としたまましばらく黙ってしまって動かない。恐らく5分くらいの間かも知れないが我々には長く長く30分以上にも感じられた。

 おもむろに口を開いた同専務は「分かりました協力しましょう。税務調査の誤りとのことですが、なかなか相手は手強いでしょう。先生私からもよろしくお願いします」と。店主と老父の顔に涙と共に安堵の表情が広がるのを見逃さなかった。ここが了解すれば後は、Y社が了解したのでと言うとそれに続いて他の4社も全て快く了解した。一旦事がうまく行くと後は良い方にドンドン転がる。更正の請求と異議申し立ての調査に所轄署の審理担当官が来た。前の署で私も顔見知りの常識ある人だった。私の説明を良く聞いて貰った。税務調査による修正申告をしていたので更正の請求は却下されたが税務署から職権更正がされ、税額は私の計算通り減額となった。2週間ほど経ったある日その店に行くと丁度税務署から封書が来ていた。店主は怖くて私が行くまで封を切らないで居た。開封すると「異議申し立てを認める」とあり、重加算税も取り消された。店主老父の震えながらその通知書を握りしめて喜ぶ様は見ていても涙を誘われた。結果、所得税・加算税、地方税・加算金等の合計は2分の1ほどに減少した。

 当初調査した担当官は既にこの成果で栄転していた。後始末をさせられた後任官は後ほど税理士になってから、深田が余計な事をしたのであの時は大変だったよとこぼされた。私は「そんなお粗末な調査を許した署が悪いので当然」と言ってやった。私が脅したようになった国税局の件の徴収官は後ほど税理士になってから会ったが、「深田先生のように納税者のためにこんなに頑張る税理士は今まで見たことがなかった。貴方は本当の税理士だ」と言われた。やはりこの方は紳士だったのだ。ところでそのお粗末調査をした調査官の実家はその店の商圏である県内の同業店であったことも何かの因縁だったのか?


創業物語・そしてその後