会長 深田一弥の異見!

2023年6月1日

ChatGPT

 コンピュータの進歩は著しい、1966年に入社した銀行でコンピュータ室を見学すると、IBMの馬鹿でかい機械に配線された基板を入れ替えしていた。その後税理士として独立し、昭和の終わり頃、若い職員がNECのPC8000を購入し、面白そうにしていたので私も購入し、BASICで組んでテレビに繋ぎ動かしていた。仕事を終わってから始めてのめり込みあっという間に深夜になってしまう。これでは仕事に差し障りがあると早々に止めてしまった。

 その後事務所内の作業はコンピュータ化されて経営者はプログラムを組むのではなく使い方を覚えれば良いと割り切ることとした。それからパソコンの発達は素晴らしく、私が初めてみたIBM機よりもとんでもない記憶容量の世界になってしまった。またOA機器も殆どがコンピュータ内蔵になってしまった。

 我々はオフィスだけで見ていたが、工場生産の現場では早くから自動化機械にはコンピュータ内蔵になっていて、さらにロボットの導入で無人でも工場が稼働するようになった。工場生産の場でのロボット導入は我が国が世界に先駆けて行ったと記憶している。今や私のような年寄りでもスマートフォンを持っていて、凄い能力のコンピュータをポケットに入れて持ち歩いている。

 ITという言葉が流行したと思ったら最近はAI(人工知能)と言う言葉を良く聞く。AIは、コンピュータが単なる道具ではなく、自ら情報を収集し、備蓄しかつ論理的に整理してアウトプット出来るのである。一握りの天才が席巻していた碁や将棋の世界でもAIは彼らをも打ち負かすようになった。一般人でも通訳や翻訳をいとも簡単にできるようになってしまった。

 こういうことを我々日本人は当たり前の事と抵抗なく使ってしまうが、意外と西欧人は、工場生産のロボット導入にすら当初は抵抗感があったと言う。ましてAIとなるとかなりの著名人でも人間滅亡になりかねないなどと警鐘を鳴らしている。そういう中で最近話題になっているのはChatGPTである。

 例えば何らかについての論文を作成したいと思い、テーマを入力すると人間が作ったような論文が出力されると言う。大学の卒論や研究論文に使われてしまうのではと危惧されている。そういうこともあってか、世界の多くの国々で使用を制限する動きが出ている。我が国では便利に使って行政の効率化にも繋がるとして今のところは制限しない動きである。さて果たしてどうか?日本人は意外とうまく使いこなすのではと思っている。例えば学生同士でも「お前のその論文はChatGPTではないのか?」などと茶化され、悪用されるような隙はないのではないか?

 16世紀にフランシスコ・ザビエルが布教で日本に来て、日本人の知性の高さに対抗できず、哲学的な素養を持ち論理に優れた者でないと彼らを説得できないとローマの本部に訴えたという。「洗礼を受ければ死ぬと地獄ではなく天国に行ける」と言うと「では洗礼を受けなかった先祖は地獄に落ちているのか、随分神は無慈悲だな」とか「万能の神が全てのモノを造った」と言うと「万能なら何故悪いモノや悪い人をも造ったのか」と言われて二の句が継げなかったと言う。

 西洋人ばかりで無く未開の人々もたやすくキリスト教に帰依したのに我が国ではなかなか根付かなかったのには日本人の知性に対応できるすべがなかったのだとも言われている。だから今世界を震撼させているChatGPTも日本人にとっては恐れるに足らずと思っている


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