会長 深田一弥の異見!

2012年7月9日

靖国神社

 一時期テレビ、新聞等で「靖国」を見聞きしない日はなかった。これほど「靖国」を有名にしたのもその時の小泉政権の成果の一つと言えよう。しかし、日本国民でどれほどの人が実際に靖国神社に行ったことがあるのか。かく言う私も、過去に何度もその前は通りながら、何か特別な場所との印象で、行く気が起きなかったのも事実である。数年前のことになるが、東京での会議が早い時間に終わったので、同席の二人を誘って行ってみた。

 九段下で車を降り、広大な境内を進んでいくと、かなりの人混みである。なるほど話題の場所だから人が集まっているのかと思いきや、丁度境内の桜が満開だったからかも知れない。大鳥居の次に大きな菊の紋章のある山門をくぐり、さらに木製の鳥居を過ぎやっと本殿である。拝殿の前に立ち、日清・日露の戦いはもとより、今次の大戦で尊い一命を国に捧げた多くの英霊に深く感謝し、拝礼した。日本が今日あるのはこういう人達の犠牲があってのことと、これは政治信条を別として、日本国民なら持って当然の心境であろう。

 靖国神社に付設する資料館「遊就館」の存在も、反靖国の人達や近隣諸国から反発が強い。つまり、アジア侵略の戦争を美化していると言う。先ず入ると幕末から明治維新までに亡くなった各藩の御霊を祀っていると書いてあるが、いわゆる賊軍と言われた戦死者達は祀られていない。「靖国神社の創祀」の説明板には、招魂社(かつての靖国神社の名称)の祭日一覧として、その一つは9月22日「会津降伏」とある。

 私は、辺り構わず「これはないだろう!」と大声を上げた。会津人の心情を考慮しここはせめて「会津入城」程度に止めるべきだ。会津松平藩は京都守護職いわば近衛軍である。当時ゲリラやテロ集団だった薩長の武士達を厳しく取り締まったのは当然である。その意趣返しに、彼ら官軍は会津においてとりわけ残虐だったという。言わして貰えば、靖国の前身「招魂社」は天皇を担ぎ錦の御旗を掲げて日本を乗っ取った薩長政府のための神社であり、その精神は今も続いていると見た。その政府のなれの果ては多くの国民を犠牲にして敗戦と共に崩壊した。

 首相を初め政府関係者の靖国神社への公式参拝に対して何故かくも特に中国、韓国からの反発が強いのか。「内政干渉」と言う人も多いが、戦争とは国同士の利害対立における究極の解決手段であり、従って国内問題だけとは言い切れまい。昨今、国際法から見てその適正性が疑われている当時の極東軍事裁判。そこで有罪となったA級戦犯が合祀されてからそれらの国の反発が強いが、これは日本側が説明責任を果たしていない。また「遊就館」の展示が戦争美化と言われるが、日本的かつ情緒的な展示法が隣国の人達にはきっと理解できないのだろう。

 我が国では、何でも白黒つけずに、大勢に流し、うやむやにしてしまいがちで未だ今次大戦の総括をしていない。極東軍事裁判が不当と言うなら自身で決着を付けるべきなのにしていない。だから隣国からあれこれ言われても反論できない。これでは「靖国で会おう」と誓い国のために散っていった多くの戦死者達は浮かばれまい。また、今次大戦では多くの民間人も犠牲になっているが、その人達についての配慮も当然にすべきだ。

 これらの決着を少しでも早くかつ明瞭につけ、「YASUKUNI」が日本人だけでなく世界の人達も堂々と参拝に訪れる場所となって欲しい。


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