豊洲問題と元知事そしてメディアの責任
一旦火が付いた豊洲問題の炎はなかなか収まらない。築地の卸売市場は老朽化で手狭となり移転が検討されるも都は元々改築する計画であった。しかし営業しながらの改築には時間が掛かること等もあり、2001年、都は移転に同意することとなった。それでも反対する業者も多く、政治問題化する。その後、移転場所の豊洲に土壌汚染のあることが分かり、反対運動がさらに激化した。その後の状況については、既にメディアで何度も報じられている。桝添氏の辞任による都知事選挙で小池百合子氏はこの問題に徹底してメスを入れると広言して当選し、知事就任後早速取りかかった。現在、問題の焦点は盛り土のない地下空間は誰が指示したのかに焦点が絞られている。
ところでこの問題の発端は、1999年に初当選した石原都知事時代に遡る。石原氏はそれまで作家としては名が売れていたが政治家としての能力は未知数であったものの、メディア受けするタレント性からか圧倒的多数で勝利した。彼は選挙戦中、東京都職員の待遇が良すぎるので自分が知事になったら下げると都民の歓心を買うような事を言っていた。当選したものの、都知事の一言では都庁職員の給与削減は出来ないことが分かり、途端に今度は銀行に矛先を向け銀行悪玉論を主張し始めた。その当時、夕刻の新橋駅頭で彼は如何に銀行が悪いかを声を張り上げていたが、的外れな言説にあきれた記憶がある。しかし彼は自分の考えに自信があったのか銀行税と言うめちゃくちゃな都税まで作った。これも銀行側が訴えた裁判で負けてしまい多額の還付税と還付加算金で都の財政に余計な負担をさせてしまった。
それでも懲りない彼は、2003年中小企業のためと称して新銀行東京を創設した。それも武家の商法の常か、結果は惨憺たるもので、3年で実質上破綻してしまう。そのような失政を回復しようと思ったのか2006年の選挙では公約に五輪招致を掲げた。2014年の五輪はリオに負けたが、その後の運動の成果は次の猪瀬知事で実現する。しかしこれもまた現在、設備等の過大投資額が問題になっている。新銀行東京は、公的資金導入で一時倒産は免れたものの結局破綻し、その清算に都の財政から数百億円を拠出する羽目になった。どうもその時期と豊洲の盛り土問題の時期がオーバーラップしている。
今、豊洲問題でメディアのインタビューを聞いても彼はあの人を食ったような口ぶりで責任を感じている様子はない。しかしこれらの問題は在職期間を通じて如何に都政に対する彼のガバナンスが甘かったかを表している。つまり自分は花火をぶち上げるが、後は官僚と都議会に丸投げしていてその後のフォローや管理・監督をしていない。小池新都知事は石原氏からも事情を聞くと言っているようだが、恐らく彼のことだから、彼独特の論法で責任逃れすることは想像に難くない。
国会議員ではあったが政治には殆ど素人同然の彼を持ち上げ、その後の失政もメディアは問題にしなかった。また、東京都のような大きな組織を率いるリーダーシップ能力は甚だ貧弱だと当初から私は見ていた。ステイツマンとしての能力よりも彼の言動がテレビで絵になる或いは新聞紙面を賑やかにすると言うことなのか。都民の支持があったと言うが、それもメディアが彼を持ち上げた結果であろう。それに乗っかり本人も行政能力もあると錯覚したのか。豊洲問題について、石原氏本人と彼を甘やかしてきたメディアの責任は極めて大きい。