終戦記念日に思う
また終戦記念日が来る。最近メデイアを賑わした集団的自衛権も、その是非を問う前に、我が国は今次大戦の総括をすべきと思う。当時国を背負っていた人達は殆ど鬼籍に入っており個人的責任を問うのでなく、何故、あのような戦争を始めたのかを検証すべきだ。そうしないといつまでも靖国問題、憲法改正そして集団的自衛権などは論者により基本の考えが違い、議論がかみ合わない。当時の我が国の取った戦略について考えよう。
1930年代に我が国の国家目標は世界有数の強国となり、特にアジアの盟主となることだ。そのため経済力よりも軍事力を強化した。陸軍は我が国の経済活性とソ連の脅威を防ぐべく満州を手に入れた。その是非についてはさておく。この頃からアジアに植民地を持つ欧州列強は日本の膨張に危機感を募らせた。勢いづいた陸軍は政治的混乱の中にある中国に攻め入った。これにより中国を自国の市場と捉える米国までも日本を敵視するようになった。米国は日本への屑鉄輸出禁止、そして石油禁輸にまで発展し、欧州列強もそれに倣った。それが我が国を経済的に追い詰めることとなった。
さて、そこから大事なのが国家戦略である。戦術的に中国から手を引けば米国は軟化したと思うが。ところで海軍は、油がないと軍艦も飛行機も動けない。備蓄は2年分のみ。しかし、蘭領インドネシアには豊富な油田、英領マレー半島にはゴム、仏領ベトナムにも豊富な資源がある。何れの盟主も本国からは遠く離れている。それなのに我が国は敢えて米国とも開戦することを戦略決定したのは何故なのか?欧州列強の植民地占領のみと言う戦略もあり得たと思うが。その場合でも米国は何れ参戦して来るだろうから事前に叩いておこうと言うことかも知れない。
まあそれはそれとして、では何故戦術として真珠湾攻撃だったのか?米国との開戦は、相手が攻めてきてからでも遅くはなかったのでは?しかし、先手必勝との考えもある。米国へ宣戦布告の遅れとの失態はあったが、戦術はハワイに基地を置く米国の太平洋艦隊撃滅である。浅海での魚雷攻撃の戦法は成功したが戦闘としては全く中途半端だ。先ず、石油備蓄タンクを破壊していない。停泊していなかった航空母艦群を索敵攻撃していない。占領のためハワイに上陸もしていない。勝ったと言うが、この戦闘は戦術的には失敗なのだ。
企業間競争もそうだが、相手があきらめてしまうほど徹底しないと必ず復讐される。つまり軍としてのイロハがなっていない。しかし当時の軍指導部はエリート官僚達で、学力優秀でプライドが高く、軍事に無知でも自信過剰の連中と考えれば納得できる。つまり失敗を恐れるのだ。本来戦略の決定は政治なのだがそういう軍官僚達に引っ張られたと見る。その戦略・戦術の間違いが国民に凄惨な犠牲を強いたうえ敗戦となった。
軍官僚は戦争中も「生きて虜囚の辱めを受けず」と兵士に玉砕を勧める愚を犯した。玉砕よりも生きて捕虜になり敵の食料を減らすことも戦術の基本なのに。これ一つ見ても軍指導層は戦争の初歩すら分かっていなかった。
ところで、現在、我が国の目標は何で誰が戦略を練っているのかと考えると背筋が寒くなる。相変わらずエリート官僚は自分達が一番と思っているのではないか。目標を明確にし、それに従って戦略と戦術を立て、戦法を研究し、戦闘を徹底するのは企業経営も同様だ。大事な戦略を官僚達に任せて居てはまた失敗しますよ。