福島第一原発事故裁判
津波対策を怠り福島第一原発事故を防げなかったとして業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の元会長ら当時の経営トップ3被告の初公判が30日東京地裁で開かれた。この件は、東京地検が2度不起訴処分にしたものの、検察審査会は起訴すべきと議決し、指定弁護士が強制起訴した。
起訴状では3被告は大津波を予測できたのに対策を怠り、東日本大震災による津波の侵入で原発の電源が喪失したため水素爆発が起き、津波救援の自衛官らにケガを負わせ、近くの病院の入院患者達が避難せざるを得なくさせ、その途中で数十人が死亡したとしている。これに対して元会長らは「大津波を予測するのは困難で事故を予見するのは不可能だった」と無罪を主張している。
しかし、東日本大震災のかなり前から、地元の住民や歴史家がかつてここにはかなり大きな津波が来ており、危険なので福島第一原発は津波対策をして欲しいと何度も申し入れをしていたと聞いている。また東日本大震災の前にも文科省の調査でかつて大津波が来たことが実証されていたし、東電のある部署でもそれを認識していた。それなのに何故、津波対策を行わなかったのだろうか?また、元会長はじめ東電のトップ層にまでその情報が上がっていなかったのだろうか?
震災時福島第一原発の所長であったY氏は同社の設備管理部長当時、地元民等からの要請に対して「そんな大津波は来ない」と大見得を切ったという話も聞いた。しかし、3被告が現役時に出席した会議の席上「地元で14メートル程度の津波が来ると言っている人が居る」と発言したこともあるようだ。また原発事故後、政府事故調査委による「調書」で「地震が来るとは聞いていたが津波が来るとは誰も言っていなかった」とも話している。調書の頃、Yは、震災後の事故対応で心身共にすり減らし、しかもガンを発症していた中での聴取なので、証言としては薄弱かも知れない。
話は飛ぶが、かつての戦争において我が国の敗色濃い昭和20年の2月、クリミヤ半島のヤルタで米英ソの首脳が集まったいわゆるヤルタ会談でドイツと交戦中のソ連のスターリンはドイツ降伏後3ヶ月で連合国側に入り日本に参戦するという重大な密約を結んだ。密約なので外部には発表しなかったが、その情報をスエーデンのストックホルムでキャッチした公使館駐在武官の小野寺信少将は緊急電を大本営に送ったものの、それが軍及び政府の上層部に伝えられることはなかった。もしそれをもって我が国は直ちに降伏していたら、満州住民のあれほどの悲劇や、北方領土をあそこまで強奪されずに済んだのではないか。
当時軍部は我が国と中立条約を結んでいたソ連に英米との仲介を政府に依頼していたところなので、小野寺電の内容は都合が悪い。それを慮った大本営の一中堅幹部がその電報を握りつぶしたのではないかと言われている。それは戦後大商社の会長や内閣の顧問にまでなったSではないかと言う。福島第一原発事故についても、上層部を慮った中堅幹部である部長のYが会社にとって不都合な情報を握りつぶしたことは十分に考えられる。
自分では良かれと思っても、一中堅幹部の浅慮が国を危うくし、会社を危うくする。今回は会社だけでなく地元市町村を壊滅させ、結局全国的な被害にまで発展してしまった。組織に不都合な情報であってもそれを受けた者は、全て上に上げていくべきであろう。この東電の裁判の行方を見ていきたい。