会長 深田一弥の異見!

2023年12月1日

真珠湾攻撃

 12月8日は82年前(1941)我が帝国海軍連合艦隊が米海軍太平洋艦隊基地のあるハワイオアフ島の真珠湾を攻撃し米国との開戦の火ぶたを切った日である。我が国から米国へ開戦通告を手渡す前に攻撃が始まってしまったことから、「卑怯なジャップ!」として米国内ではそれまでの厭戦気分が一気に打倒日本へ盛り上がったと言われる。開戦通告が何故遅れたのかは、在米日本大使館の失態、故意に大本営が遅らせたとか言われているが、米国では我が国の暗号電報を解読し開戦通告があることは既に了知のことであった。

 満州事変から続いて中国国内へ侵攻し、その後北部仏印、南部仏印へと戦線拡大していった我が軍に対し、国際的に我が国への非難は益々大きくなり、特に米国は石油禁輸等経済封鎖を始めた。我が国は何とか米国との開戦を避けようと大使館を通じて対米交渉を続けていたが、11月26日米国コーデル・ハル国務長官からの覚書(ハルノート)は我が国が飲める内容ではなく、12月1日御前会議で対米交渉が失敗したら即開戦と決定された。

 当時の我が帝国海軍連合艦隊の司令長官は有名な山本五十六大将であった。彼は早くから真珠湾攻撃を主張していたが海軍軍令部はリスクが大きすぎると反対していた。彼は主張が反対なら連合艦隊司令長官を辞任するとまで抵抗した。軍令部とは戦術を考案し、司令官はそれに従い戦法を考える立場であるのに、そんなことをいうのは全く下克上であるが当時の陸軍、海軍を問わず勇ましいことをいう部下の言を入れる悪弊があったようだ。

 しかし、我が連合艦隊は遠洋艦隊ではなく、沿岸防備の艦隊である。ハワイまで距離6千㎞、日程は12日間も掛かる。当然、各艦搭載燃料では足りないが、油槽船は足が遅いので同道できないため、各艦の甲板にドラム缶を積んで行ったようだ。もしハワイ近くになって米軍の哨戒網に引掛かって爆撃されたらとてつもない損害となるが、幸運にも、あるいは米国は知っていてやらせだったのかは判然としないものの何らの抵抗もなくハワイ近海まで進出することが出来た。真珠湾は水深12mで、通常は航空機からの魚雷攻撃は難しいが、山本は鹿児島湾で訓練して浅海での航空機からの雷撃に自信を持っていた。

 12月8日未明、航空母艦から発進した、ゼロ式艦上戦闘機、99式艦上爆撃機そして雷撃の96式艦上攻撃機でハワイの真珠湾は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。しかし、本来目標としていた真珠湾を母港とする米国太平洋艦隊の2隻の航空母艦は不在であった。それでも戦艦8隻を撃沈する戦果を挙げた。しかし、造船所や油槽タンクを攻撃しなかったため、修理施設と燃料は無傷で済んだ。航空母艦司令官の山口多門少将はそれらの攻撃を具申したが艦隊司令長官南雲忠一中将は戦艦撃沈で良しとして相手からの反撃を恐れ直ちに避退、帰投した。

 しかし、深海で戦艦を撃沈すれば効果があるのに真珠湾は浅海なので撃沈艦は直ちに引き上げられ無傷の造船所で修理し、6隻は間もなく戦線復帰した。当時我が国では大戦果と報じられて国民から大喝采を受けたが、米国は上記の理由により全国民一致で我が国に対戦できることとなった。その後の戦況は必ずしも我が国に利にあらずして敗戦への道を辿ることになる。多くの山本五十六ファンには申し訳ないが真珠湾攻撃とは、戦法としては成功なのかも知れないが、戦術としては愚策であるとしか言えない。


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