会長 深田一弥の異見!

2015年9月15日

河床は大丈夫か?

 先日、台風の影響による全国的な大雨で大災害が発生した。私の住む宮城県内でも堤防決壊による浸水で死者を出す被害を受けた。茨城県の常総市では鬼怒川の堤防決壊で市内の3分の1ほどが浸水し、家が流されたり、濁流に呑み込まれて死者行方不明合わせて相当数にのぼり、甚大な被害となった。私の子どもの頃と違い、その後ダムをはじめとする治水技術の進歩や堤防の整備等で水害が起きると言う意識は現代の人々はあまり持っていなかったと思う。水が引いた後の画像を見るとまるで4年前の東日本大震災後の被災地を思い出す。

 我が国は山地が多く、そこを水源とする大小の河川が無数に存在している。かつては人々の生活と河川は密接な関係を持っていた。しかし、河川の恵みを受けていた流域住民もひとたび大雨となると、その河川は今までと違う凶暴な様相に変わり、とてつもない被害をまき散らすことも恐れていた。そこで治水はかつての領主やその後には行政の大きな課題になっていた。

 また高度成長の頃には河川は工場や生活排水の放流用として使われ、その汚染は社会問題になったこともある。かつては豊かな自然を持つ土手の堤は住民の憩いの場を提供していたが、その頃から都市部ではそれが無味乾燥のコンクリートに変わってしまった。それでも上流のダムと合わせて都市部の洪水被害が激減したのは確実である。しかし、都市部とは言え未だに大半の河川の両岸はいわゆる土手のままであり、それがまた何とも言えない風情を醸し出している。

 大被害の常総市はかつての市名が水海道と言うように水が豊かな土地であるしそこを流れる鬼怒川の堤防もいわゆる土手のままであった。また宮城県で洪水被害のあった大崎市を流れている渋井川の両岸も土手堤防であった。今、両市では避難勧告が出たとか出なかったとかで騒いでいる。確かに両市ともに行政の不手際は否めないところであろう。

 しかしそもそも河川の側に住むと言うことは、風光明媚を満喫するウラに、常に洪水の危険と隣り合わせであると言う意識を持つべきであろう。山や崖の側に住んでいれば、山津波や崖崩れの懸念を常に意識して置くべきである。この世で万全の対策と言うことは絶対にないとの覚悟は持つべきである。

 ところで両市を襲った大豪雨は想定外だったのだろうか?近年地球温暖化と関係あるのかも知れないが降る雨量が半端でなく多量であり、今後、他の地域でもこのような大洪水が発生する可能性は大きいと思う。そうすると今言われているのはスーパー堤防であるが、これとて全国で工事をするには莫大な予算措置が必要であるし、全ての地域でそれが可能かと言うと無理である。

 ところで、私は、テレビで見たり、実際に地元で見ている河川は砂州がドンドン発達しているのが気に掛かっていた。中には砂州に大木と見まごう植物が繁茂しているのもある。河川は山や上流からの土砂を運んでくる役目もあり、その土砂がドンドン滞積してくる。今回堤防決壊で洪水を起こした河川だけでなく、全国のかなりの河川の河床が高くなっているのではないか。河床が高くなると河川の水許容量が減少し容易に溢れてしまう。

 一昔前は砂利採取もあったのだろうか良く河床を削る工事を見かけたが最近は自然保護が徹底しているのかそういう光景は目にしない。そうしている内に河床がドンドン高くなってしまったのではと、素人考えながら気になっている。


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