会長 深田一弥の異見!

2018年1月31日

歴史上の人物を個人崇拝するな

 今年のNHK大河ドラマは西郷隆盛を描いた「西郷(せご)どん」で勇気と実行力で時代を切り開いた「愛に溢れたリーダー」として描くとのこと。西郷隆盛は幕末から明治維新に掛けて活躍したが、後、明治政府に楯突き西南の役で自害した。日本人には彼のファンが多いので、前評判も高いようだ。

 最近、明治維新を逆の面で再考する動きが活発だ。明治維新が大東亜戦争にまで繋がると極論する者もいる。大政奉還とは、政権が徳川幕府から平和裏に天皇つまり明治政府に奉還されたかの如く思われている。しかし、実態は、そこに至るまで、またその後も血みどろの戦いが繰り広げられた。西郷は、大変な人情家のような印象があるが、実はかなりの策士家でもあった。幕末に江戸の町を騒乱させた張本人である。江戸幕府を動揺させるため不逞の輩を集めて赤報隊と名乗り、商家への強盗や放火、また殺人、強姦等を働き江戸の町を恐怖に陥れた。取り締まろうとすると彼らは薩摩屋敷に逃げ込み、民間の捕り方は手を出せないのをいいことに悪の限りを尽くした。その後西郷は彼らの役目が終わると偽官軍として抹殺した。そういう陰の部分を従来は取り上げることがなかったし、最後が最後だけに明治政府に裏切られた悲劇のヒーロー扱いだ。

 これは外にも明治政府を作り上げたいわゆる明治の元勲達も同様な話は沢山ある。その中でも代表的なのは、首相にまで上り詰めた伊藤博文は、自分達の意図にそぐわない孝明天皇を暗殺した疑いすらある。つまり明治維新とは長州藩の下級武士達が主導し薩摩藩や急進的な公家達も加わった暴力革命なのだ。明治政府はそういうことは一切伏せ、徳川幕府時代は暗黒で、自分達が国民の為の民主的な政府を作り上げたと喧伝し、そのまま歴史教科書に記載させた。これは倒幕の精神的支柱である吉田松陰も同様で、当時としては暴論を吐いて藩も手を余していた。松下村塾とは言うが、自分が塾長ではなく居候の身分で勝手・得手な教えを塾生達に与え、いわゆるテロリスト養成所にしてしまったと言われている。先日、右寄りのメディアの代表のS紙は彼へのそういう最近の風潮に疑問を呈していたが、事実は事実なのだ。彼のそういう考えが明治維新を作る原動力になったことは確かで、歴史の事実は消しようがない。だから徳川政権を倒して明治政府を作ったのが正しいことだと言うなら偉人と言えようが、歴史とは正か誤か善か悪かではなく単に歴史の事実だけなのだ。

 それは同じように凶刃に倒れた坂本龍馬にしても言える。土佐藩を脱藩した一浪人に海援隊を組織し、商船隊を持つだけの資力はどこから得たのか?最近ではその資金の出所は長崎のグラバーがほぼ確実となっている。グラバーは英国のジャーデンマセソン社の代理人で、マ社とは中国にアヘンを持ち込んだ張本人で正に英国の陰の代理人である。つまり龍馬には英国の息が掛かっていたことは今や明白だ。もしそれに反発する論があれば龍馬の資力はどのようにして調達したのかを証明すべきである。司馬遼太郎の「龍馬が行く」で評価が高くなり、戦前でも日露戦争時昭憲皇后の夢枕に立ったとの政府発表で一般人がその名を知ることになった。つまり偉人と言われる者にも必ずと言って良いほど陰の部分があり、その被害にあった者も居る。だからそれは歴史の一つとしてのみ紹介するだけにして、ドラマにするなら陰の部分も正確に描くべきであろう。


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