会長 深田一弥の異見!

2024年10月1日

日航123便事故について何故今頃陰謀論?

 1985年8月12日18時12分東京羽根田空港を大阪伊丹空港に向け出発した日本航空第123便通称ジャンボ機が墜落した。当初、某国のミサイルで撃墜されたのではと言われ、NHKテレビに「救助に向かった自衛隊員が何者かに射殺された」との緊急情報も流されたが、その後、誤報と訂正された。夜間でもあり墜落地点は、なかなか特定されず、搭乗者の家族だけでなく全国民が焦燥感に駆られた。翌朝漸く御巣鷹山と特定され救助隊が向かい墜落から15時間過ぎになり奇跡的に生存者も見つかった。

 その後事故調査員会から、同機はかつてしりもち事故を起こしたことで修理した圧力隔壁が壊れ風圧で垂直尾翼を破壊し油圧装置も壊れ操縦不能となり墜落したとの報告がなされた。しかし間もなく、実際の墜落原因は事故調の報告とおりではないと言う主張が、雑誌などに掲載され、そういう論調の著書もいくつか発刊された。またそれらは全くの誤解で単なる陰謀論だとの反論の著書も出され、我々素人は何が真実なのか分からなくなってしまった。

 一旦はその原因についての議論は収まったかに見えたが、2017年元日航のCAだった青山透子氏による「日航123便墜落の新事実」が発刊され、その詳細な検証による内容は驚くものであった。職員2名が同機で亡くなった知人の税理士にその著書を贈呈し感謝された。その後もネットでは継続して墜落原因についての疑問の主張がアップされていた。

 ところが最近経済評論家の森永卓郎氏が命を懸けてと123便の原因について新たな著書を刊行し、それもありYouTubeでもまたこの件についてにぎやかになってきた。私はできるだけ客観的かつ冷静にそれらの意見を観察してきた。従って何れの意見にも与するつもりはない。但し、事故調の報告にある墜落原因が圧力隔壁破壊であるとのエビデンスも薄弱で全面的に納得するということはできない。そこに陰謀論と言われる余地が存在すると言える。

 次に問題点を列挙するが、それに対し、政府、防衛庁(当時)、日航、そして事故調査委がエビデンスに基づく明快な説明をしていくことが遺族ばかりでなく国民に対する義務と思う。

・当時の川上村の村長が正確な墜落地点(群馬県御巣鷹山)を早々に警察に連絡するも無視され、何故か他の場所ばかりがメディアから報道されたと本人が主張している。

・123便は異変に気付いて「スコーク7700」を発信した。民間機から同信号が発信の場合、当時は直ちに自衛隊百里基地から戦闘機F4Eファントムが発進することになっていたと聞くが、防衛庁は、ファントム発進は日航機墜落後だと言っている。でも地元小学生と教諭は、墜落前の123便を2機の飛行機が追っていたと証言しているが全く無視されている。

・123便は横田基地から着陸OKと言われたのに、横田近くになり急に変針して山岳方面に向かっている。それには何れかとの何らかの応答があったと思われるが、そこの部分のヴォイスレコーダーは遺族が要望し裁判までしたが却下され、公開されていない。

・相模湾に沈む垂直尾翼は、墜落原因究明に役立つと思われるが未だに回収していない。

・日航は、他メーカーもあるのに修理ミスしたボーイング社の機材をその後も次々に購入。

・高空での隔壁破壊なら急激な気温低下と機内空気流出(デコンプ)があるはずだが、生存者の記憶にも全くない。 他にも色々あるが以上が明確になるだけでも十分であろう。


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