会長 深田一弥の異見!

2016年11月2日

大川小学校裁判について

 先日の仙台地裁で東日本大震災の際、石巻市の大川小学校で避難の遅れと避難場所の不適切さで多くの小学生が亡くなった件の裁判でその父兄達である原告側勝訴の判決が出た。

 海岸から4km離れた小学校にも津波が襲来してくるのは石巻市の広報車が伝達していたので教員達は十分認識していたはず。また、津波避難は高いところに逃げるのが常識であり、学校の裏山に避難すれば児童達の殆どは助かったはずなのに、わざわざ津波が遡上してくる河川傍の指定避難場所に引率したのは教師の判断ミスとのこと。学校を所管する石巻市及び教師の所属する宮城県に総額で14億円を支払えとのことである。原告側弁護士が裁判所の玄関前で広げた大きな紙には「学校と先生を断罪」と大書してあった。

 津波で大事な子供さんを無くされた多くの父兄諸氏の悲しみは筆舌に尽くせないであろうし、その悲しみの深さは現実に子供を亡くした者でなければ計り知れない。しかも、もし直ぐ傍の裏山に引率して避難していれば避けられた可能性が高く、それを何故、1時間近くも逡巡したあげく、川沿いを避難していたのかとそれが悔やんでも悔やみ切れない慚愧の念が強いだろう。しかも亡くなった何人かの児童は「裏山に逃げよう」と何度も叫んだにもかかわらず、先生達に無視されたことも悔しさがつのるであろう。

 さて、裁判の結果は、先生達の責任が大であり、学校を所管する市と県の責任が重大であるとの裁決だ。石巻市と宮城県は直ちに控訴することを決定した。当事者達は既に亡くなっているので本人達から子細を聞くことが出来ないが、当時先生達はあまりに突然のことでしかも学校のトップである校長が不在であり、どうして良いか分からなかったと言うのが事実であろう。我々県内に70年以上住んでいる者でもあれほどの津波が襲来すると言うことは全く予想できなかった。石巻市の広報で高台避難を言ったものの十数メートルの津波だとは誰も予測できなかったと思う。

 先生方は恐らく、裏山への避難も選択肢の一つに入っていたと思われる。但し、これも側聞だが、地元の人から裏山では倒木とか或いは山崩れの懸念も言われたようだ。そうなると先生達は裏山避難の選択はできなかったろう。つまり指定の避難場所に行くのが引率者の責任である。

 福島原発事故の際、原子炉冷却装置が壊れ、やむなく海水冷却をしたが、それを菅首相の官邸は反対したとメデイアは批判している。実態は菅首相が官邸に居た原子力委員会の斑目委員長に海水だと再臨界の懸念はないのかと聞くと同委員長はその可能性もあると回答した。国を預かる首相が専門家から再臨界可能性を言われたら海水冷却の指示はとても出せるものではない。

 結局、当時の所長の英断で海水冷却をして事なきを得た。だからと言ってメディアの菅首相批判は当を得ていない。同様に先生達はあの時、自分たちでは最善の方法をとったのであろう。結果は悲惨なこととなってしまったが先生達を責めることはできない。今回の仙台地裁はそういう場合でも先生達は裏山避難をさせる責任があったと断じたのはどうかと思う。その先生達も生徒同様その場で亡くなっている。

 私は、あの裁判はどちらが勝っても負けても遺恨が残る。何とか和解という形にもっていけなかったのか。上告されて今度は高裁の判断を待つことになるが何とか双方の顔が立つ方法を見いだして欲しいと思うのは私だけではないであろう。


最近の投稿

もっと見る