会長 深田一弥の異見!

2012年5月21日

北方領土

 北方領土と言えば、殆どの国民は、国後、択捉、歯舞、色丹の4島を想像する。この日本固有の領土を不法占拠しているロシアはけしからん、早く返せ、というのが多くの国民の感情だ。何故ロシアは4島を返そうとせず居座り続けるのか、彼らに言い分はあるのか?

日本は大戦まで、北は樺太の北緯50度以南(南樺太)及び千島列島が日本の領土であった。日本の敗戦により、それらは当時のソビエトロシア(ソ連)が占領した。1951年にサンフランシスコで日本は連合国と講和条約を締結し晴れて独立国となった。その際、日本は南樺太と千島列島を放棄したが、歯舞、色丹の両島は北海道の一部を構成していることを吉田茂首相の演説で明言した。つまりサンフランシスコ講和条約では国後、択捉両島は千島列島に属するとした。
この講和条約に、連合国の中でもソ連は調印していない。1956年、ソ連とも講和すべきとして鳩山一郎首相の時に交渉が始まり、平和条約締結後はソ連が占拠している歯舞と色丹両島を日本に返還することで合意し調印寸前まで行った。我が国はサンフランシスコ講和で国後及び択捉を含む千島列島を放棄したので歯舞、色丹の2島返還で良しとした。
ところがその頃は冷戦時代に突入していてアメリカは日本とソ連が友好関係になることを望まず、ダレス長官から、国後と択捉を返して貰わないなら、沖縄を返さないぞと脅された。日本は急遽、両島含めた4島返還を平和条約締結の条件とした。怒ったのはソ連で、それでは話が違う、平和条約は締結できないと決裂した。

 それから既に60年近く経過した。以来、我が国は北方4島が平和条約の条件としているがソ連は崩壊してロシアとなっても態度は変わらない。少しでも多くの領土が戻ってきて欲しいので2島よりは4島の方が嬉しいのは確かだ。しかし外交交渉は相手があり、いくらこちらで望んでも相手が乗らなければどうにもならない。国後と択捉を加えさせたアメリカが力になってくれると良いのだが、何せサンフランシスコ講和の際に国後・択捉含む千島列島を日本に放棄させ、それ以前、ヤルタ会談でソ連に南樺太と千島列島領有を条件に対日参戦させた張本人なのだから無理なのだ。つまりこれらの経緯がそっくりロシア側の論理になっている。
それでは日本はどのように対処すれば良いのか?ソ連はサンフランシスコ講和条約に調印していないので、日本が南樺太と千島列島を放棄した効果はロシアには及ばない。そのため南樺太と千島列島は、ソ連含む当時の連合国の共同管理を要求すべきと私は思う。
連合国が国後・択捉をソ連領だとするなら我が国は従わざるを得ない。しかし少なくとも歯舞と色丹は確実に還る。連合国が国後と択捉あるいはそれ以上も日本領だと言えば幸いだ。領土交渉は2国間だけで行っても現実に占拠している方が強い。これは竹島をみても分かる。国連を通じ当時の連合国等多くを巻き込む努力をすべきで、ただ騒いでいるだけでは解決しない。

 少し前、ある大手金融機関の全国広報誌に紀行文で名の知れた作家Tが訪問記を掲載し、そこにロシア連邦エトロフ島と書いた。私は早速その金融機関を通じてTに抗議し訂正を求めた。Tは、自分の主義主張なのか単にプライドだけなのか、頑として訂正に応じない。やむなくその金融機関は広報誌のその号を廃刊にして同じ号を別な記事で作り直した。こういう日本人が結構いるので困る。Tはそれから3年後に亡くなった。


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