公共事業と景気対策
バブル崩壊からもう20年も経っているのに我が国経済はデフレ不況から脱却していない。唯一、震災地を持つ仙台市内の景気が活況で、地価もバブル気味であるが日本全体の景気を底上げするまでにはいかない。日銀もようやく重い腰を上げてと言うより内外の様々なプレッシャーに負け、渋々インフレターゲットを1%に定め貨幣流通量を増やすことを発表した。かつては、不況になると政府は財政出動し、公共事業を増やした。第二次大戦前後に活躍したイギリスの経済学者ケインズが提唱したいわゆるケインズ政策である。これがある時期までは景気活性効果があったことは事実である。すると手段が目的化して、不況になったら、ではなく不況にしないため公共事業をするようになった。それが現在の膨大な赤字国債残高となってしまった原因の一つでもある。
ところが、ある時期から、この政策に景気活性効果が表われなくなってしまった。2000年、小渕恵三首相は42兆円の景気対策を行い、内約20兆円が公共事業に充てられたものの殆ど景気活性効果はなかった。この頃から公共事業いわゆるハコモノ行政は駄目ということになり、ケインズ政策は現在の経済では効果がないとまで言われるようになった。ケインズにとっては大変迷惑なことである。
第一次大戦敗戦で、過酷な戦時賠償を要求された当時のドイツはもう二度と立ち上がれないとまで言われた。当然、財政は火の車であった。そんな時忽然と現れたヒットラーは、耐乏生活を強いられていたドイツ国民に希望を与え、瞬く間に政権の座に着く。そのヒットラーが行ったのが景気対策である。
優秀な財政専門家シャハトを迎え、窮乏財政下でも可能な国債枠を計算させて発行し、その乏しい資金で公共事業としてアウトバーンの建設を始めた。その際、公共事業は景気対策との原則で、工事に関わる企業全てに利益が配分されるよう管理した。抜け駆けで儲けた業者には容赦なく懲罰的な課税をした。元請ゼネコンから、下請建設業者そして労働者にまでこの利益が行き渡った。それで税収が増え、さらに国債発行枠が拡がり、それでまたアウトバーンを延ばすため同様な政策を行った。その手法で瞬く間にドイツ経済は復活した。当時ケインズは英国政府からヒトラー批判を求められたが、持論の優等生的政策であり、批判を断ったと言う。
一方、1920年代の不況から脱却できずにいたアメリカもニューディール政策として大規模テネシー渓谷開発(TVA)を行ったがドイツの様な成果を挙げられなかった。ドイツと違うのは、アメリカの体制から業者の管理を行わなかったためではなかったか。
そうすると小渕首相時代、我が国で公共事業に景気対策効果が表われにくくなったのも頷ける。この頃から政官とゼネコンのトライアングル構造と談合批判が高まり、国、地方自治体では積算価格を抑えたり、一般競争入札に変えるところが多くなってきた。従来は公共事業にぶら下がっている殆どの業者に利益があったが、それからは安ければ良いとの声の元、ギリギリの単価で受注し、下請業者には赤字をも強いる結果となり、それが益々地方経済を疲弊させた。
談合システムの批判はやむを得ないが、公共事業に景気活性効果がないのはこれが原因と思う。このようなシステムでは国・地方のお金が捨て金になっていることを指摘したい。被災地で公共工事に入札不調が多いのも自治体に景気対策との自覚がないからと思う。