全聾の作曲家ゴーストライター問題
佐村某と言う名が、最近のクラシック音楽界を騒がしていたのを私は不勉強にも知らなかった。何でも両耳が聞こえないのに素晴らしい曲をつくり「現代のベートーベン」と言われていたようだ。しかし、彼が作曲したと言う曲の全てがゴーストライターによるもので、その本人が名乗り出てインタビューをしたことでその内の何曲かがかなり有名になっていたことを私は初めて知った。マスコミ各社は騙されたと騒ぎ、一斉に佐村某タタキに走った。しかしあれほど「素晴らしい曲だ、天才だ」と騒ぎ立てたのは自分たちではないのか?どんな人が作ったとしても素晴らしいモノは素晴らしいというのが芸術ではないか?もし佐村某の作ったストーリー立てにはまってそれほど芸術性の高くない曲をはやし立てたのであれば、私はむしろマスコミの責任の方が重大だと思うがどうか?
マスコミは被害者面をするのは得意だが、今回の件はむしろマスコミは一般市民に対して加害者だと言いたい。大体、健常者の時にどれほどの素晴らしい作曲をしたのか?耳が聞こえなくなって絶対音感で作曲できたのであれば、健常者の時にも余程素晴らしい作曲をしている筈だ。健常者の時にそれほどでなくて耳が聞こえなくなってから素晴らしい曲ができるとは常識で考えてもおかしい。
それが非常識だからマスコミは騒いだのかも知れないが、そうであればそうだからこそ彼の正体のウラを取るべきであったろう。私は見ていないので伝聞ではあるが、NHKは極めて劇的な映像とナレーションで彼の仰々しい紹介を放送したと言うではないか?こういうウラを取らない表面だけで番組を作るのはマスコミとして恥ずかしいし、特にNHKは料金を払っている視聴者への重大な背信行為でつまり加害者である。決して被害者面はするべきでない。
何度かこの「異見」にも書いたがどうも最近の我国マスコミ(最近はそれをメデイアと言うそうだが)はミーハー(これも最近は使わない言葉だが)程度の報道が多すぎる。つまり自らは勉強不足に努力不足、それなのに他人を糾弾するのだけは強硬と言う下劣な集団に成り下がっている。是非もっと責任のある報道をして欲しい。
それに音楽業界も情けない。それらは素晴らしい曲だから売れたのではないか?何れも関係各社は佐村某に対して損害賠償を請求すると言う。これもおかしい。自分たちは散々甘い汁を吸っていてもっと吸おうと思っていたのにそれが出来なくなったから損害賠償とはあまりにも身勝手すぎないか?素晴らしい曲なら例え悪人や犯罪者が作ったとしてもその価値は消えないのではないか?芸術とは本来そういうものであろう。これが既にある曲を勝手にコピーし、それが発覚したのならそれは価値がなくなっても当然であるが、今回は表で作曲者と名乗った者と実際の作曲者が違っただけではないのか?そしてその曲は全くのオリジナルであろう。それとも大した価値のない曲なのに全聾の作曲者と言う付加価値を付けて善良な市民に売りつけていたのか?それがネタバレになったので騒いでいるのか?
聞くところによるとそれらを排除してもその曲の価値は素晴らしいと言うのが一般の評判らしい。それでは聾者を騙った佐村某はもう既に名声は地に落ちのだから、実際の作曲者の名で堂々と発売したら良い。マスコミ人も業界人も上っ面だけで中身のない連中が増えてきているのが日本社会の病巣の一つのような気がしてならない。