会長 深田一弥の異見!

2021年9月3日

ミャンマーはどうなった?

 今年の2月、ミャンマーで国軍によるクーデターが起こり、民主政府は崩壊し、国家顧問のアウンサンスーチー女史は拘束されたとの情報が流れた。その後、クーデターに反対する民衆に対して、国軍は発砲し、死者が多く出ることとなった。北方では、元々国軍と対峙していた少数民族が呼応し、内乱状態になることも懸念された。

 ところが最近、日本のメディアはコロナ、オリンピック、アフガン問題等のニュースばかりで、ミャンマー問題はその影に隠れてしまっている。元々ミャンマーはビルマと言われて、19世紀からイギリスの植民地となっていた。日本との関わりは、1937年我が国が中国本土に侵攻したが当初の目論見と異なり長期化していた。それには、中国国民党軍を援助していた米英が、香港、インドシナ、ビルマを経由したいわゆる援蒋ルートで物資を運んでいた。香港とインドシナは日本軍が早々に占領したが、残るはビルマルートとなった。

 当初日本軍はビルマ侵攻を考えていなかったが、大量の物資が重慶に立てこもる国民党軍に援助されていたことから英国軍との激戦の後、急遽ビルマ全土を占領した。首都ラングーンからの援蒋ルートは断ち切れるかと思ったが、英軍はインド国境に近いインパールを通じてルートを再開した。日本軍は悪名高い「インパール作戦」で大敗北し、勢いづいた英軍にビルマ全土をも再占拠されてしまった。有名な大本営参謀辻政信の「潜行三千里」はこの時の事である。

 ところで日本軍が占拠した際はビルマ国軍創始者アウンサウン将軍が日本側に付いたが、英軍が優勢になると敵方に寝返ってしまった。しかし、英軍が再占拠するとこれも英国の常で約束は反故にされてしまい、また反英になってしまう。その後独立までには紆余曲折があるが漸く独立した際、アウンサウンは暗殺されてしまう。しかし、彼は未だに独立の英雄として国民から尊敬されている。スーチー女史は彼の長女なので国民の父への尊敬が彼女にも繋がっている。

 ところで独立し民政になったが、国軍は自分達の力で独立したとの誇りからか、クーデターを起こし、軍政にしてしまう。その後また民政にするがまた軍政と繰り返した。しかし軍政には世界各国から経済制裁をされてしまい、経済が活性化せず、世界の中でも最貧国の仲間入りをしてしまう。そのためまた民政への道をたどる。しかし、総選挙で国民から圧倒的な人気を持つスーチー女史が率いるNLD党が圧勝したことから、国軍は軍政時代に築いた莫大な利権がなくなるのではと懸念し、クーデターを起こした。

 日本は各国が経済制裁した時期にも、加わらなかったので国軍とは親密な関係がある。今般のクーデターは、従来と異なり、国軍はかなり強硬でかつ国民への暴力も振るい多くの死者も出ている。情報が入らないので実態がつかめないでいるが、ミャンマー国内はかなり大変なことになっていると思われる。ミャンマー国民の生活安全がどうなっているのであろうか?ミャンマー国民の多くが熱心な仏教徒で大変穏やかな民情と聞いている。今回の国軍にはバックに中国がついたことも心配だ。

 私はミャンマーに繋がりがある知人から、出張を誘われた。ミャンマー国民は穏健でしかも仏教思想からか、汚物処理なども嫌がらないとのことで、高齢者介護には適切である。顧問先に介護施設があれば、紹介できると思うと言われていた。残念ながらその直後にクーデターが発生してしまった。


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