会長 深田一弥の異見!

2016年8月10日

あの戦争を総括すべきだ

 間もなく8月15日が来る。1945年日本が連合国に対して降伏した日、つまり敗戦という屈辱の日だ。それを何故か「終戦記念日」と言う言葉に代えている。日本があの大きな戦争を始めたきっかけは1931年の満州事変だ。これは関東軍の参謀達が勝手に行動を起こして満州を乗っ取った。当初反対した政府は結局事後承認し、国際社会から厳しく糾弾されるが、これでわが国は不況からいち早く脱却したのは皮肉な事実である。それが軍を慢心させ、1933年盧溝橋事件で中国に攻め入り広い大陸で抜け出せない泥沼の戦いとなる。

 もっともこれは今考えると中国共産党の戦略にマンマと嵌まったのかも知れない。これで益々国際的な反発を買うこととなり、日本は国際連盟を脱退し国際的に孤立する。それでも引く事無く北部仏印さらに今度は正規手続の御前会議を開いて南部仏印、つまりインドシナ半島へ攻め入る。中国侵出時から特に米国の日本に対する反発は強く、石油輸出禁止等様々な経済制裁を加えてきた。

 さらに1941年ハルノートと言うわが国には呑めない条件を突きつけられ同年12月真珠湾攻撃と同時に米国を始め東南アジア植民地の宗主国に対し宣戦布告して全面戦争に突入する。4年間の戦闘の上で2個の原爆を投下されポツダム宣言を受託し敗北する。

 当時の日本は、不況打開のため満州や中国への権益維持と東南アジアの資源獲得を試みた。タイ国を除き東南アジアの殆どは欧米列強の植民地であり資源も豊富で、資源小国の日本にとって正に垂涎の地であった。米国は日本への圧力を強めても当時の大統領ルーズベルトは非戦で当選したため欧州戦線も原則不介入とし、軍事力を直接行使できる国内状況にはなかった。石油獲得なら独占領下のオランダを宗主国とするインドネシア、またゴムは同様に対独戦で苦境にある英国が宗主国のマレー半島を占領するだけと言う方策もあった。

 しかし米国はABCD包囲網の連携で軍事行動を起こすかもしれない。その場合は受けざるを得ないが、我が方から戦争を仕掛ける必要性はあったのか。戦争を始めるには狭い意味の戦力つまり軍事力だけではなく、広い意味の戦力つまり軍事力のほか戦いを一定期間支えるだけの経済力が必要であるのは古今東西を問わず当然の理である。

 当時、開戦決定までにそういう検討はどこで誰が行い、我が国に米国はじめ各国と戦えるだけのバックヤードが整っているかの検証をしたのかがどうにも見えてこない。米国との開戦決定は9月(1941)の御前会議であるがこの決定には疑問を禁じ得ない。

 ところで開戦を上層部の反対にもかかわらず、水深の浅い真珠湾での航空魚雷攻撃に自信を持った連合艦隊司令長官Yが数千キロも離れた米国太平洋艦隊の根拠地であるハワイ攻撃を強硬に主張した。しかし、撃沈した戦艦8隻の内6隻は、浅海のため直ちに引き上げ修理の上、戦列復帰したことからしてもこの攻撃は疑問である。我が国は何故、あの時大戦に突入していったのかを未だ総括していない。それはこれからの我が国のあり方にも大いに関係してくることでもある。

 例えば先般の「集団的自衛権」について、特に80歳以上の人達が何故あれほど反対したのか?彼らの心中を慮ると、自らの過酷な体験から、訳が分からない内にまた戦争に巻き込まれるのではとの危惧から来るのではないのか。将来、我が国を二度とこのような失敗をさせないために先の大戦の総括は必須と考える。


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