「終戦の日」を9月2日に
我が国では、大東亜戦争に敗北してから長らく8月15日を終戦の日として、各地で式典も挙行されている。
1945年に入ってから、我が国は、益々敗色濃くなってきている中で、軍は、一向に戦闘意欲を失っていないものの、政府内では、何とか停戦へともっていこうとの気運も出てきていくつかの国へ非公式ながら停戦交渉を始めつつあった。7月26日には我が国に対して米英中による降伏を勧告するポツダム宣言が発せられた。
しかし、我が国ではそれが国体を護持できないと一度は無視したものの、8月6日広島・9日長崎への原子爆弾投下、8月8日には日ソ中立条約を無視したソビエトが我が国へ宣戦布告し翌9日に満州侵攻してきた。やむなく天皇の聖断により、8月14日ポツダム宣言を受託し、翌15日に天皇による終戦の詔勅があった。これをもって我が国は終戦の日としている。
8月16日に大本営により、国内外の我が軍に対して一切の戦闘行為を停止するよう命令か発せられた。つまり、それまで戦闘は行われていた。戦闘停止とは武装解除を言うのではないが、歴史的に敗戦を経験していなかった我が軍は、自ら武装解除をしてしまったところが多かった。中には国際法に通じている軍司令官も居て、例えば北支(現内モンゴル自治地区)の司令官だった根本博中将は、8月19日に侵攻してきたソ連軍と戦闘の上撤退させ、約5万人居た日本人居留者を安全に待避させた。
満州ではさっさと武装解除した関東軍の無策のために、在満の日本人がどれほどの苦難を受けたかは知るところである。また8月18日未明、千島列島最北端の占守島にソ連軍が侵攻してきた。既に守備隊は武装解除していたが第5方面軍司令官の樋口季一郎中将は断固抗戦すべしとの命令で改めて武装を整え、島内約500人の女子工員達を無事撤退させ21日まで戦闘が続いた後停戦した。日本本土内では戦闘はなかったが海外ではいくつかの戦闘が続いていたと言う。
9月2日東京湾に停泊していた米戦艦ミズーリ上に於いて正式に降伏文書に調印してようやく大東亜戦争が終結したのである。我が国のポツダム宣言受託により、国連軍の大半は我が軍への戦闘を停止していたものの、同じく国連軍のソ連は(我が国降伏寸前に国連軍に参加)は、降伏文書署名までは戦争状態であるとの認識で、占守島の停戦後も千島列島を次々に占拠していった。いくら我が国が北方領土を返せと叫んでも、国際的には戦争終結は9月2日であり、だから他の国々もソ連のやり方については何ら抗議していないのだ。
但し、歯舞・色丹については9月3日の占領なので、これは明らかに違反であり、我が国はそれを強く言うべきであろう。ソ連は歯舞・色丹ばかりか北海道までの占拠を予定したが、米国のトルーマン大統領により阻止された。しかし、未だにロシアは北海道占拠の意向を捨てていない。
中立条約を勝手に破棄して侵攻してきたことにはハラが立つが、いくらロシアに対して8月15日以降の占拠は無効だと我が国が騒いでもアメリカはじめ世界のどの国も応援してくれないのはそういうことなのだ。ここは我々も冷静になって改めて9月2日を終戦の日とすべきではないだろうか。それによって8月15日以後の戦闘で命を掛けて戦い、国土や国民を守った軍人や兵達の霊も浮かばれるのではないかと考えるがどうか。