「器にあらず!」だったか?
菅首相が自民党の総裁選挙に出馬しないと9月3日に表明した。当初は、2期目に意欲的で、安倍前首相、麻生財務大臣そして実力者の二階幹事長が推しているので絶対安全とも言われていた。コロナ禍が収束しない中で自分では未だ頑張るべきだと思っていたことだろう。
今年の10月には衆議院議員の任期が満了して総選挙がある。今度の選挙には自民党が圧勝した前回選挙で通ったばかりの若手議員が多数改選されるが、菅政権の支持率の低調から自分の身が危ないと思っている。そこに対抗馬として出てきたのが岸田氏だ。彼は自分が政権を取ったら、党の役職は3期までと明らかに幹事長職5年の二階氏をターゲットにした発言だ。
多くの若手議員は自民党のイメージ上、二階氏が幹事長職に止まっているのを快く思わない。そこで菅首相は総選挙前に支持率を上げようとして内閣改造と党役員人事を一新して支持率アップを図った。それには二階幹事長を外すことも入っていた。しかし、だからと言ってここまで落ちた支持率を上げることは無理だったろう。
1年前、安倍晋三元首相の突然の首相辞任を受け、なかなか収まらないコロナウイルス禍の大変な時期に、豪腕で鳴らした菅官房長官を首相にしようと言うのは自然の流れだった。こんな時期に首相になると言うのは火中の栗を拾うようなもので、一応対抗馬は出たが、彼の圧勝だった。官房長官時代の活躍を見た国民やメディアは順当な選択だと言うのが殆どだったが、私は、菅氏は首相にならないと見ていた。彼は、NO2でこそ、実力を発揮するがトップの器ではないと思っていたが、実は意外と上昇志向の持ち主のようだ。
首相就任早々安倍政権の継続を打ち出したが、トップはそれだけでは駄目なのだ。首相の下で彼の方針通りに進めるのは官房長官としての役目だが、トップになったら、自分の方針を明確に打ち出していくべきで、それがないのなら、ワンポイントリリーフに過ぎない。世間では、東北の寒村から出て、苦学の上国会議員秘書の後、県会議員を経て、地盤も看板もないのに、這い上がってきた苦労人と褒め称えていた。
官房長官時代の彼は、その持つ実力を遺憾なく発揮して長期に亘る第二次安倍政権を維持するのに貢献したことは間違いない。しかし、首相になってから、自分の言葉で国民に語りかけると言うことは見たことがなかった。テレビで見る彼は、いつも官僚の書いたメモを見ながら淡々と話し、人情味も感じられなかった。自分に反対する官僚はクビにすると言ったし、学術会議メンバーを選ぶ際も気にいらない学者を外した。トップとは心を広く持ち自分に反対する者でも有能な者は受け入れるぐらいの度量の大きさが必要ではないのか。
彼が総務大臣に就任した際、私もある団体の一員として表敬訪問した。何か意見はないかと問われたので、当時、国は税務申告の電子化となったが、地方税は自治体によりバラバラで電子申告と紙ベース申告が混在していた。小さな自治体では予算がなく、電子化は無理だと言われた。私は、是非、国から地方自治体に電子化インフラ整備の予算を付けることを依頼した。彼は側に控える官僚に「よく聞いて検討するように」と伝えた。それから1年以内に地方税の電子化は全国全ての自治体で可能になった。少し後、ある町長にそのことを言ったところ、確かに予算が来たと大いに感謝された。そんな事もあり、私は彼にはシンパシーを感じていたのだが。