所長 深田一弥の異見!

2020年8月7日

韓国の人達にも知って欲しいこと

 韓国と北朝鮮は米国トランプ大統領の仲介役を演じた文在寅により、長年の戦争状態から和平に傾くかと思われたが、自らの思惑が外れた金正恩は、今まで以上に韓国を敵視し始めた。

 1945年、日本が連合国に降伏し、今まで日本領であった朝鮮(韓)半島は、38度線を境に北はソ連が、南は米国が占領することとなった。米国は半島全てを国連の信託統治にしようとしたが、従来から民族独立を標榜していた半島内の各組織はそれに反対した。しかしそれら組織間でも対立があり、結果として南は米国の支援を受けて1948年に大韓民国として独立し、北はソ連の支援を受け朝鮮民主主義人民共和国として独立した。

 ところが1950年、米国のアジア戦略に朝鮮(韓)半島を含まないと誤認した北の金日成は、ソ連の了解を得て突然38度線を越えて侵攻してきた、いわゆる朝鮮(韓国)戦争の幕開けである。しかし、全く備えの無かった韓国軍は、混乱して敗走し、その後加わった連合軍も忽ち半島南端釜山の近郊まで追い詰められてしまった。韓国軍は山口県に本拠地を移そうとまで考えた。

 当時の山口県知事は敗戦直後から半島の情勢を常に探っていて、北から侵攻の懸念があることを吉田首相に伝えたが、吉田はGHQからの情報でそれを否定した。知事はマッカーサーに伝えようとしたが門前払いされた。北の侵略が始まった頃にはGHQも容共者が多い民政局(GS)から、反共の参謀第2部(G2)に主流が代わっていたが。

 米軍は直ちに反撃しようとしたが、半島の地理に詳しい者が居ない。そこで、頼りにされたのが日本の旧軍関係者達である。先ず丸の内のビルの一角に旧陸海軍の十数人が集められた。その後100人以上となり連日対策を練ったという。その一つが仁川上陸である。仁川は干満差が10mもあり、米軍のLST(上陸用舟艇)を満潮時に着岸させるのには現地に詳しい旧軍資料が役に立ったと言う。

 仁川に上陸した連合軍と釜山の韓国軍含む連合軍に挟まれ袋の鼠となった北朝鮮軍は忽ち壊滅した。次に連合軍は半島東側の元山に上陸して、西の仁川からの軍と併せて北上しようとしたが、元山沖にはソ連が敷設した大量の機雷があり、それを排除するには、連合軍の掃海艇では足りず、旧軍の掃海を引き継いだ海上保安庁に依頼した。海上保安庁は戦闘行為となり憲法違反になるが、密かに掃海艇を出した。その掃海技術で無事機雷を除去し、安全に軍を上陸させることが出来た。この掃海中、日本人一人が亡くなり数人が負傷した。

 この掃海技術が現在は海上自衛隊に引き継がれ、中東の掃海に活躍したことは耳に新しい。また主に日本からの物資輸送担当者、現地労働者、従軍看護婦には、多くの日本の民間人が従事し、ここでもかなりの人数の死傷者が出たという。旧日本軍人からの多くの情報を得て、連合軍は破竹の勢いで北朝鮮軍を追い上げ、平壌を墜とし、鴨緑江を越えそうにまでなったが、懸念した中国の毛沢東は中国軍を出して対抗した。

 元々支援していたソ連は、米国と事を構えると第三次大戦になることを懸念し中国に軍応援を依頼したという。結果は38度線で休戦することとなり、それが現在にまで続いている。仁川上陸や元山上陸のような挟み撃ちは米軍の戦術にはなく、旧日本軍関係者による助言と思われる。現在の韓国が、38度線以南を保てたのは、連合軍だけで無く、密かに加わった多くの日本人の助力もあったことを韓国の人達にも是非知って欲しい。