所長 深田一弥の異見!

2019年6月4日

「卑怯」は日本人の「恥」

 5月連休後の月末近く、ビッグニュースはアメリカのトランプ大統領の訪日と思っていたら、国内ではとてつもない事件が起きていた、川崎市の登戸で、スクールバスを待っていた小学生に刃物を持った男が襲い、次々と刺して成人男性と女子小学生が死亡し、多くの重軽傷者を出した。男はその場で自傷して果てた。その後「自殺するなら一人でやれよ」とか「そういうことを言うな」との意見がネットで飛び交っていると言う。でも、死んだ男が何をもってこの行動を起こしたのかは原因不明のままとなっている。

 20年近く前、既に犯人は死刑になった大阪の池田小学校で子供達を殺傷した事件、10年前の秋葉原通り魔事件とどちらも社会に不満を持っている者が起こした事件である。何れもその被害者は小学生や歩行者という弱者を狙っているのが特徴的だ。絶対に自分が優位である者が加害者で被害者が劣位の場合、昔からこういうことは卑怯者のすることと言われた。学校での虐め、職場でのパワハラ・セクハラ全て弱い者虐めと言える。

 また、上の者に忖度して記録を書き換えた官僚が国会で嘘の答弁をする、これら一連の行為は卑怯な事だと断言できる。昔、武士に於いては卑怯者と言われることが一番の恥だと聞いたことがある。これは明治時代にアメリカでベストセラーとなった、新渡戸稲造の「武士道」にもそのようなことが書いてある。この「卑怯」を「恥」とする心が現代の日本人には希薄になってきているのではないか。

 ビジネスの社会でも、「ズルをしてでも儲けた者が勝ち」、どんな汚い手を使っても「お金儲けが悪いことですか?」と言い放った金融ブローカー。どうも、卑怯な行為が恥であることがもっと日本人の心に植え付けられていれば、今大きな社会問題となっている「虐め自殺」などはかなり無くなるのではないか?クラスの大勢が一人を虐めの対象にする、ネットやラインで誰とも解らないようにして誰かを誹謗する。何れも卑怯者のすることだ。

 江戸末期に日本に来た西洋人が、日本人の倫理観に驚いたことは、小銭をその辺に置いていても家の女中、下男そして家に出入りする職人誰がきても小銭を盗る者が居なかったと言う。前述の新渡戸稲造は、西洋人に日本人はどんな宗教によって倫理観をたもって居るのかと聞かれて困ったそうだ。そこで考えついたのが「武士道」だったという。武士道は必ずしも武士だけではなく、武士ではない者にも日本人の倫理観として植え付けられていることを世界に知らしめた。

 その真髄は「卑怯」なことはしない、それをすることは「恥」だと言うこと。またこの「恥」も日本人の心に強く占めている。若干、意味が違うかもしれないが、アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトが「菊と刀」で日本人は「恥の文化」と著している。つまり卑怯と言われるようなことをするのは、日本人は極端に恥ずかしいこととしてきたはずだ。

 ところが今はどうだ、万引きをしても「うまいことをやったな」、また芸能人が若い頃万引きをしたことをとくとくと語る。法に触れなければズルをして金儲けをした方が勝ちとか。「法に触れなければ他に迷惑を掛けてもいいや」と言う卑怯を許す風潮がこの国を駄目にしているのではないか?

 これは是非、家庭でまた学校教育で、また職場においても「卑怯なことは駄目」「卑怯なことをするのは人間のクズ」と徹底的にたたき込んで欲しい。