第7話 直ぐに相手の得意先に行け
私が税理士を開業しての割と早い頃から関与していた企業の経営者であるが、 終戦直後の国立大学出で在学中ある政党に入ったことから就職後にレッドパージに遭い、 公職を追放されて西の方から実姉の嫁ぎ先を頼ってはるか仙台にまで来た人である。 その後地元メーカーに就職し、工場長にまでなったが、 勤務先会社の合理化に伴い、部下と共に退職し、従来の仕事を自分の事業として独立開業した。
当事務所の関与先社長の中では一、二を争うインテリジェンスの持ち主ではあるがなかなか気むずかしく、 かなり気を使う必要がある性格であったが私とは不思議とウマがあった。 私が関与してから会社組織にし、着々と事業を伸ばし、 元の勤務先からの下請けだけに甘んじることなくいくつかの企業からも受注するようになった。 毎月の試算表の数字にも敏感で、 自社の粗利益率の低さを何とか改善しようと私を招いて2人だけの社員のために研修会を開くほどの熱心さであった。 特に当時成長著しいある地元企業からの下請け仕事を受注するようになるとさらに売上が伸び、 そこの仕事が自社売上の6割も占めるようになった。 そうなると経営者の常で、毎夜飲食街通いとゴルフに冬はスキー三昧と遊びにも精を出すようになった。 そんなある時、売上の6割を占めるその元請け会社が倒産したと言う情報が飛び込んできた。
早朝、件の社長から電話があった。 沈んだ声で「先生、ウチはもうだめだわ。 これから銀行に行ってくる」と社長。
私は「社長、銀行に行ってどうするの」。
社長「銀行に相談して手じまいをどうするか相談する、工場や機械を処分し、2年前に買った家も処分する」
私「社長、銀行に今行ってもどうしようもないですよ。 手じまいと言ったって工場や機械は処分しても言って悪いが二束三文にしかならないし、自宅は売却してもローンが残ってしまいますよ」
社長はいらだって「そんならどうすれば良いんだ」。
私「先ず倒産した元請け会社の再建は無理なのですか?」
社長「その社長は行方不明でどうやら自殺したようだ、ワンマン社長だったので残った者ではどうしようもないらしい」。
私「分かった。社長、その会社のお客さんは御社に下請けに出て居ることは分かっているのですか?」
社長「色々な連絡はウチから直接お客に連絡しているので分かっている」。
私「それでは銀行に行く前に直ぐにお客のところに行って下さい。 向こうでも依頼した会社が倒産して困っているはずですよ。銀行はそれからです」
社長「分かった」。
その翌日また社長から電話があった。
「先生、客先に行ったら、相手は、良く来てくれた。どうしようか困っていた。 それでは社長のところで直接継続してやってくれるのですね」
と言うことで他の客も行って見たら異口同音にそう言ってくれた。
「それではこれから経営改善計画書を作成しましょう。それから銀行に行きましょう」
それをもって行くと、銀行では「分かりました。応援しましょう。」と言って必要資金を即座に融資してくれた。 得意先から中抜きで直接仕事が取れるので利益率も良くなってくるのだから当然でしょう。 これによって以前よりもむしろ業績は良くなってしまったし、借りた金の返済も順調に行った。
しかし、好事魔多しで社長の夜遊びが益々講じてしまった。 さらに悪いことに、バブル崩壊後の長期デフレ不況で仕事が減少した上に利益率も低下して結果経営不振に陥り、45年でその幕を閉じた。