創業秘話

第5話 首を斜めに振る

 全く別の女性経営者の話であるが、この経営者のお父上もなかなかの努力家で終戦直後の混乱期に、 儲かることなら何でもと、いろいろな事業に手を出し仙台市内中心部にいくつかの不動産物件を取得していた。 そのうちの一つの物件はかなり年数が経った賃貸ビルである。 かなり老朽化していて修繕費が嵩み、建て替えをするかあるいは売却をしようとしていた。 一階の店舗は元々の賃借人が転貸し、その転借人がまた転貸しと、 転貸が3ないし4段階も繰り返されたところで現在の賃借人が家賃を滞納しているにも係わらず営業権を盾になかなか立ち退かない。 さらに2階には暴力団事務所があり、何とか追い出そうとするがこれまた出て行きそうにない。

お父上が亡くなりその女性経営者がそのビル所有会社の株式を相続したが、この女性経営者なかなか度胸が良い。 粘りに粘る1階の占有者を家賃滞納の理由で僅かの引っ越し代程度のお金で退去させた。 暴力団事務所は流石に裁判に掛けたが相手の脅しにも臆することなく退去させた。

そういう状況は誰かが見ているものだ。 今まで誰も手を出さなかったビルなのに急に買い取りたいとの申し出があったと言う。 ある晩、私が事務所で仕事をしているとその女性経営者から電話が掛かってきた。

「深田さん、聞いて、聞いて、今、東京の不動産業者からウチのビル用地を一坪900万円で買いたいと言ってきているの。 あそこは○○坪だから、○○億円になるんだけどどうしたらいい!」と弾んだ声で言う。

私は慌てず「首を斜めに振りなさい!」、

彼女「えっ!何それ!」。

私「つまり首を縦に振ればその金額でOKになる。 横に振ればそんな良い話は無くなってしまう。 だから斜めです。」

察しの良い彼女「つまりもっと値段を上げろと言うのね。 そうするとどうなるの」。

私「坪1千200万円にはなるでしょうね。 そうしたら首を縦に振っても良いですよ。」。

彼女「そんなに!深田さんも随分欲張りね!」。

何も私が得するわけでもないのに彼女はもう完全に浮き足立っているのが分かる。 私が言ったとおりこのビルはというよりもこのビル用地は坪当たり1200万円で譲渡できた。 でも後日、彼女から聞いた話では、決済場所の銀行の会議室には数人の業者が集まり、 その場で次々と自分の土地が転売されて最後の業者は坪当たり1600万円で購入したと言うから驚きだ。 日本がバブル期に入ったばかりの頃の話である。 今ならせいぜい坪当たり300万円にもならないでしょう。

この女性経営者なかなかお金には渋い。

「深田さんには毎月会社で顧問料を払っているのだから、この譲渡について御礼は出しませんよ。 どうせこの申告はあなたに頼むのだから」だと。

どうも最後の購入金額の坪当たり1600万円を見てしまったので自分は深田のアドバイスどおり坪1200万円でOKしたが、 もっと頑張ればそれ以上の金額で売れたのではないか、深田のアドバイスを信じて損をしたと思ったのかも知れない。

人間の欲望は際限がないので恐ろしい。

良かれと思ってしたことでも相手がどんな風に受け止めるかで結果は全く逆になってしまうのだから。 あれほど高い金額で売れるとはしゃいでいたのに、あるいはもっと高い値で売れたのではないかと思った途端、私を憎らしく思えてきたのでしょうね。