会長 深田一弥の異見!

2012年9月3日

竹島

 日本海に浮かぶ岩礁「竹島」が、今、日本と韓国の間の最大課題である。竹島を韓国が実効支配してから既に60年。国際社会では実効支配が50年すると所有権が認められるらしい。我国は韓国が実効支配して以来、常にその不当性を主張しており、簡単には韓国のものにはならない。有史以来竹島が我国の領土であることは言を俟たないが、韓国は歴史的に無理があっても先ず結論が自国領土だと言うのであり、しかも実効支配している強みがある。一昔前なら武力で解決だが、21世紀の今日では無理だし、しかも我国の周辺情勢から韓国は一番仲良くすべき国なので難しい。何でこんなことになったのか。

 我国の明治維新の原動力となった原因の一つは当時列強と言われたヨーロッパの国々が帝国主義でどんどんアジアに侵略してきたことへの危機感である。その中でも一番近いロシアの進出には神経をとがらせていた。明治維新となり、我国の富国強兵策が進行しつつある時、隣の朝鮮半島は、李氏王朝が中国(清国)の册封体制のままで鎖国をしていた。そこに宗主国の清国とさらにロシアが朝鮮半島を虎視眈々と狙っていた。我国の地勢は日本海を挟んでロシアと清国に囲まれており、朝鮮半島は正に我国の中腹部に突きつけた匕首のようである。我国防衛上朝鮮半島は極めて重要な地勢上の位置を占めている。従って当時の我国は朝鮮に対し開国と近代化そして我国の友邦となるべく強く要望した。

 これに対して朝鮮は煮え切らない態度で接し、むしろ清国やロシアとの友好を重要視していた。焦った我国は日韓併合と言う強攻策に出る。この時併合に反対し朝鮮の独立を支持し友邦にしようと考えていた時の首相伊東博文はテロリスト安重根に暗殺され、併合は一気に進んだ。だから今日韓国が安重根を英雄と讃えているのに私は疑問を感じる。朝鮮を併合し植民地とした我国は他の列強の植民地とは異なり搾取でなくむしろ投資が多い出超であったと言う。しかし、強制的に日本国民にさせられた朝鮮の人達のプライドは大いに傷ついたのだろう。これが現在の竹島問題の遠因と私は考える。

 1945年連合国に降伏した我国は、朝鮮半島は連合国に委ね、間もなく北緯38度より北はソ連が南はアメリカが占領した。我国の1953年の独立より以前に38度以南は韓国として独立していた。韓国は日本が放棄した鬱陵島等の島嶼に竹島も入れるよう、再三アメリカに要請するが全て撥ね付けられていた。日本列島近海には敗戦と共にアメリカによりマッカーサーラインが設けられ我国船舶はこれより外に出ることは許されなかったが、独立とともにそれが廃止された。その当時の韓国大統領李承晩はマッカーサーライン維持を強く要求したが聞き入られず、そのためか勝手に日本海に自国権益範囲として李承晩ラインを設定し、竹島はその中に入ってしまった。それから韓国の竹島実効支配が始まり、ついに現在のような軍事基地まで設けてしまった。李承晩ラインは国際法上全く違法であるが、独立はしたものの敗戦後で未だ国力が整わず、軍事力のない我国は違法の主張をするのみで何らの実力行使はできなかった。

 1965年、日韓基本条約が締結され、この際も竹島は課題となったが、両国はこれを先送りした。私は、この時が肝心であったと思う。条約締結に経済的利益を優先した時の我国政権の重大ミスである。その後の我国の「大人の対応」も駄々っ子を益々つけあがらせてしまった。


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