会長 深田一弥の異見!

2012年8月3日

惻隠の情

 最近、ある有力政治家とある元高級官僚が相次いで妻側から本人を誹謗する情報が出てきてマスコミを騒がせた。それがよくあるような「元妻」ではなく、戸籍上のれっきとした「正妻」から出たことが共通している。但し、情報が正しければ両人ともに夫婦関係は既に破綻していたようではあるが。二人とも私は良く知っていて会話を交わしたことが一度や二度と言う程度ではなく、しかもその言動に少なからず私が尊敬の対象としてだけに驚いたことは言うまでもない。内容に違いはあるがどちらもその仕事が尋常ではない激務であり、そのために妻達は一般的な奥さんの概念ではなく本人なりに一生懸命夫に尽くしていたのだろうことは想像に難くない。それがどこかでボタンの掛け違いか生じたのであろうか?世の中でその仕事が多くの人から賞賛される場合に良く言われることは「彼がここまで常人がなしえない仕事ができたのは家庭をしっかり守ってきた奥様の内助の功によるものである」とのことである。

 しかし、本当にそうなのだろうか?本人は凄い努力をしてとてつもない偉業をなし得て賞賛されたとしてもそれが妻にフィードバックされることは殆どない。それでも本人が社会的に高く評価されれば結果として妻も賞賛されることとなるので妻達もそれでやむなしとしてきたとも言える。しかし、最近の妻達はそんなことよりも現実の夫婦関係を重視していて自分の犠牲が、そして犠牲をさせた夫を許せないのであろうか。これらの事について私が懇意にしているある60歳台の夫婦に感想を聞いてみた。この夫婦は端から見ても仲が良い。夫の意見は、妻の前だからか歯切れが悪かったが、「どうも妻がそんなことをするような女なのだから夫は既に心が離れていたのはやむを得ないだろう」ということである。しかし、妻の意見は全く異なる。「奥さんがこんな大胆な行動する決断をしたと言うことは夫が男としてよほどひどいことをしたのだろう」ということである。事実大変仲の良い夫婦であっても男と女の見方はこんなに異なる。これは永遠に平行線なのかも知れない。

 しかし、残念な事は、我国に於いては、どんなに偉大なことをした人であってもこういうことがあると人格の全てが否定されたかのように世間が見てしまうことである。プライベートでそういうことがあったとしても、それはそれ、素晴らしい偉業はそれで帳消しになることはないと私は思うが。またこれからも何らかの偉業を成し遂げうる可能性を持った人材をこういう事で埋もれてしまうことになれば国のそして社会の損失となると思うがどうか?

 また、これらを取上げたマスメデイア週刊誌についてもひとこと言いたい。確かに「公人と言われる者にプライバシーがない」というのも一理あるが、三流マスコミが興味本位で取上げるような事を一流週刊誌が麗々しく取上げるのもどうか?まして元々は夫婦関係の事であろうに。かつてはこういう場合は「惻隠の情」と言う言葉があって、知っていても知らないふりをすることが大人の対応であったはずだ。どうも最近日本の社会はかつてのような障子をとおして物事を見ることから、全て硝子張りが良いのだと言う風潮が蔓延している。

 本人達の脇の甘さは十分認識しつつももう少し「惻隠の情」があっても良いのではと考えるのは間違った事なのであろうか?


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