世界陸上で感じたこと
9月13日から21日まで開催された「世界陸上2025」は東京国立競技場で開催された。テレビはTBS系列だけの独占放送で、開催のかなり前からテレビでは前宣伝が凄かった。特に今回は日本人選手が好調でかなりの数のメダルがとれるのではないかと前評判は素晴らしかった。結果、メダルは、競歩男女で銅メダルをとったものの、その他は全くメダルには届かず前評判どおりには行かなかった。
前回王者だった女子やり投げの北口は、怪我復帰後あまり日が経過していなかったし、直前の国際大会でも最下位になっていた。決して体調万全ではなかったのにメダル確実のように言われていた。それも彼女にとっては精神的な重圧になったのではないか。それは男子100mのサニブラウンや桐生も同様であった。
今回の男子100mの代表選手は皆9秒台を経験していて史上最強などと言われていたのに誰一人予選通過もならなかった。せめて最終日の4×100mリレーはメダル確実なのではと言われていたのに結果は6位に沈んだ。それでも世界の中での6位だからたいしたものではあるのだけれども。
かつて4×100mリレーで日本がオリンピックや世界陸上でメダルを取れたのは、走力では全く力不足ではあったものの得意の高速バトンパスで結果を出していた。ところが各国の選手達も日本にならってバトンパスが上達してしまうと結局走力の差がそのまま結果となってしまった。またその走力も確かに一度位は9秒台を経験したかも知れないが、それを恒常的に出せる選手は今世界には沢山居るのにあたかもそれが彼らの実力のごとく紹介するものだから視聴者は期待してしまうのだ。
メディアによる誇大宣伝は選手にも重圧感を与えるのでもう止めた方が良い。それは110mハードルや、400m決勝またその他の種目にも言えると思う。メデイアがスポンサー獲得のために視聴率を上げざるを得ず、それが選手の実力以上の誇大宣伝していたことも今回のこの結果となってしまったのではないのか。
それから、競技の一つには文句を言いたい。それは棒高跳びである。昔は日本人選手も得意種目にしていて、ベルリンオリンピックで2位と3位を戦わず、銀メダルと銅メダルを半分ずつにした西田修平・大江季雄選手の物語は教科書にも載ったことで我々世代には知られていたことである。しかし現在の棒高跳びは当時とはポールの材質が異なってかなりのしなりがある。つまりその弾力をうまくこなす選手が高い記録を出している。もう棒高跳びではなく「ポール弾力跳び競争」ではないのか。種目名を変えるべきで、もし棒高跳びの種目名を残すのなら、かつてのようにそれほどしならないポールを使うべきだと思うがどうか。
かなり厳しいことを言ったが、今回も日本の出場選手達は一所懸命頑張ったことは事実でそれについては拍手を送りたい。何度も言うが、今後、メデイアは選手の力量の誇大宣伝は止めるべきだと思う。
ところで、海外の選手達の中には自分の力量以上の能力を発揮する選手も多く居たのに、日本人選手は自分の力量以下しか発揮できなかったのは何故なのか。調整不足なのかあるいは心理的な問題なのか、その辺の検討も必要だと思う。今回の大会で分かった良いことは、日本人選手の実力はかなり底上げされてきたと言えることだ。それでも誰かが言っていたが、陸上選手に「オオタニサン」は出ないのだろうか?