所長 深田一弥の異見!

2019年11月1日

行政はボランティアに甘えるな!

 平成は自然災害多発の時代であったと言われているが令和に入っても自然の猛威は減ずるどころか益々激しさを増している。今年だけを見ても9月の千葉で台風15号による強風被害は想像を絶するものであり、未だに復旧がなされていないところが多くある。さらに10月の台風19号に至っては、当初強風が懸念されていたものの、むしろ大雨被害がものすごく、まさかと思われるような地域、場所が水害にあっている、また土砂崩れも多発し、多くの人が亡くなっている。あまりに広範囲で、被害の程度が高く、復旧・復興にはマンパワーの不足が深刻となっている。消防や自衛隊だけでは全く手が足りず、大勢のボランティアの参加が望まれている。

 しかし、あまりに災害が頻発し、広範囲なので、ボランティアも分散してしまい、その地域に必要な人数が集まらなくなっている。これから寒さに向かい、破壊つくされ泥濘の取り除きもままならない自宅で過ごさなければならない被災者の方々を思うと全く気の毒である。マスメディアも口を揃えてもっとボランティアの希望者をとPRしているもののなかなか必要人数が集まってきていない現状のようだ。

 我が国では阪神淡路大震災の復旧がボランティア元年と言われている。阪神地域のあまりの惨状に、行政だけの手では足りないだろうと自発的に集まってきたボランティアの活躍がどれだけ被災地の人達を元気づけてくれたか計り知れない。2011年の東日本大震災の被災地では、多くのボランティア団体や個人が被災地に入って、個人宅の瓦礫等の片付けに貢献して、被災者から賞賛の声を持って迎えられた。

 ところで、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。そこには有償か無償かは問われていない。しかし、我が国ではボランティアと言うと確実に無償であると思われている。何十年、何百年に一回というような災害の場合は、被災者が気の毒と思ってボランティア活動に従事してくれる人達は多くいることであろう。しかし、昨今のように毎月或いは月中でも複数回も大災害が全国のどこかで発生しているような場合は、ボランティアへの意識が高い人でもボランティア疲れを起こしてしまうのではないだろうか。

 私は、これだけ多くの災害が全国で発生している現状を鑑みると、もうボランティア活動は参加する人達の好意だけに頼ってはいけないのではないかと思う。自分が受けた災害の対策は被災者自身が行うことが原則だが、それでは限度があることから不足は行政が負うべきであろう。しかし行政も平常時の人員しかいないことから大災害の非常時の際はマンパワーが不足するので、その足りないところはボランティアにお願いすることになる。つまりボランティアとは行政の足らざるところを補っているのだ。従って、全くの無償ではなく、行政から何らかの費用弁償をすべきであると私は考える。

 行政の職員も被災対策に頑張っているが、時間外や休日での作業には何らかの手当がなされる。ボランティアは無償と言うのなら、それは行政の甘えではないのか?かつて東日本大震災の年に私はある団体の代表の一人として仙台市長以下幹部に陳情した際、申し訳ないが一定の幹部以上の方々の給与・賞与の一部をカットして頂き、それで災害復興に充てるべきではないかと言って市長の不興を買った。でも被災地の行政首長以下職員はそのぐらいの覚悟があって然るべきではないか?