書評

2017年10月10日

不撓不屈

  • 書籍名: 不撓不屈
  • 著 者: 高杉 良
  • 出版社: 新潮社

その男、ただものではない。

 昭和38年11月、関東信越国税局は調査官80名を動員し鹿沼の飯塚税理士事務所とその自宅及び栃木県内関与先の一斉調査に踏み切った。調査理由は同税理士が別段賞与による利益調節での脱税指導。地元新聞は「税理士が脱税指導」と国税局の発表を掲載。後年、税務行政を根底から変えさせる「飯塚事件」の始まりである。その後延べ3千人以上の調査官による連日の関与先への調査が行われた。当局は、同税理士の関与先4百社の一斉解約工作をも行う。さらに同事務所の職員4名が脱税指導の容疑で逮捕される。 同税理士は当局指摘の事項は全て合法である旨再三申し入れるも聞く耳なく、やむなく国会議員に救済を求める。39年3月以後衆議院大蔵委員会で計6回、この件の質疑が行われる。そこに、事件直前まで、同税理士と当局との間で尽力した国税庁顧問の弁護士から当局の恫喝的態度の証明書、関与先企業の社長から当局による関与先切り崩し工作実態の証明書等が提出された。窮地に陥った当局は40年2月社会党議員を通じ、処分範囲を相談、同税理士は「国税庁長官一人」と応え、長官は翌日依願免官。この間、心労で実父が病没。検察拘留の職員4人は47日間過酷な取り調べを受け起訴。その後6年6ヶ月に亘る裁判の後、宇都宮地裁は無罪の判決、検察は控訴せず、ここに「飯塚事件」は終息をみた。

 当時、税は未だ行政の裁量余地が大きく、当局の恣意的判断が度々行われていた。同税理士は租税法律主義の観点から納税者有利の理論で、常に当局と争い、睨まれていた。また調査を指揮した局直税部長は本省時代、同税理士に理論的敗北をした私怨をはらす絶好のチャンスとした。裁判に勝った同税理士は犠牲者を出さないとして国家賠償を放棄した。 飯塚税理士は大正7年鹿沼市生、旧東北帝国大学卒業、中学時代から参禅、大学時代は松島瑞巌寺に寄宿し禅の修行。昭和16年臨済宗雲巌寺植木老師に見性を許される。41年、TKC創設。平成16年11月没 この一連の実話を高杉良氏が「不撓不屈」の題名で執筆した。平成18年に映画化6月に公開された。